茶人・武野紹鷗の供養塔、100年ぶりに正伝永源院に戻る 京都
毎日新聞
2021/11/14 11:04(最終更新 11/14 11:04)
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室町時代の茶人、武野紹鷗(じょうおう)(1502~55)をしのぶ石造の供養塔が約100年ぶりに、紹鷗を慕った戦国武将・織田有楽斎(うらくさい)(1547~1621)ゆかりの建仁寺塔頭(たっちゅう)・正伝永源院(しょうでんえいげんいん)(京都市東山区)に戻された。大正初期に関西財閥の藤田家に渡ったが、今秋、藤田家から「元あった場所へ」と奉納された。13日、有楽斎の忌日法要に合わせて塔の開眼法要が営まれ、関係者らが迫力あるその姿に見入った。【花澤茂人】
紹鷗は堺の商人で、千利休の師としても知られる。二十五回忌に当たる天正7(1579)年、娘婿で弟子の今井宗久が堺の寺に供養塔を建立。江戸時代初期、織田信長の弟で茶人でもあった有楽斎が、隠せいしていた正伝永源院の前身・正伝院の境内に移した記録が残る。
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