茶人・武野紹鷗の供養塔、100年ぶりに正伝永源院に戻る 京都

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約100年ぶりに戻った武野紹鷗の供養塔を前に笑顔を見せる正伝永源院の真神仁宏住職(左から2人目)、藤田周子さん(同3人目)ら=京都市東山区で2021年11月13日午後0時23分、花澤茂人撮影
約100年ぶりに戻った武野紹鷗の供養塔を前に笑顔を見せる正伝永源院の真神仁宏住職(左から2人目)、藤田周子さん(同3人目)ら=京都市東山区で2021年11月13日午後0時23分、花澤茂人撮影

 室町時代の茶人、武野紹鷗(じょうおう)(1502~55)をしのぶ石造の供養塔が約100年ぶりに、紹鷗を慕った戦国武将・織田有楽斎(うらくさい)(1547~1621)ゆかりの建仁寺塔頭(たっちゅう)・正伝永源院(しょうでんえいげんいん)(京都市東山区)に戻された。大正初期に関西財閥の藤田家に渡ったが、今秋、藤田家から「元あった場所へ」と奉納された。13日、有楽斎の忌日法要に合わせて塔の開眼法要が営まれ、関係者らが迫力あるその姿に見入った。【花澤茂人】

 紹鷗は堺の商人で、千利休の師としても知られる。二十五回忌に当たる天正7(1579)年、娘婿で弟子の今井宗久が堺の寺に供養塔を建立。江戸時代初期、織田信長の弟で茶人でもあった有楽斎が、隠せいしていた正伝永源院の前身・正伝院の境内に移した記録が残る。

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