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ソ連崩壊30年

東西冷戦で米国と覇権を競ったソ連は1991年12月に崩壊。連邦解体から30年の足取りや現状をリポートします。

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ソ連崩壊30年

かつての同国民が殺し合い 犠牲者3万超す 消えぬ憎しみの連鎖

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アルメニアの戦没者墓地で、ナゴルノカラバフ紛争で亡くなった息子の墓を掃除する女性=アルメニアの首都エレバンで2021年10月19日、前谷宏撮影
アルメニアの戦没者墓地で、ナゴルノカラバフ紛争で亡くなった息子の墓を掃除する女性=アルメニアの首都エレバンで2021年10月19日、前谷宏撮影

 東西冷戦で社会主義陣営を率いたソ連が1991年12月に崩壊してから、間もなく30年を迎える。旧ソ連諸国の現状を追った連載(全7回予定)の第2回では、かつてソ連を構成した国同士が戦火を交える問題に焦点を当てる。20日に掲載予定の第3回は、ロシアで強権統治が止まらない状況を分析する。

再発したナゴルノカラバフ紛争

 ソ連崩壊により15の構成国が独立したが、共産党体制下で抑え込まれていた民族や国境を巡る争いも噴出し、多くは今も解決していない。係争地ナゴルノカラバフを巡るアゼルバイジャンとアルメニアの紛争もその一つ。宗主国の役割を果たすロシアが仲介を試みても対立が収まることはなかった。

 ソ連崩壊後に本格化した90年代の紛争では、双方で推定3万人、2020年秋に再発した紛争でも少なくとも7000人以上の犠牲者が出た。なぜ争いは続くのか。1年前に停戦が成立したばかりの現地を歩くと、二つの民族の間で続く憎しみの連鎖が見えてきた。

 ナゴルノカラバフ第2の都市シュシャは、20年秋の紛争でアルメニア人勢力からアゼルバイジャンが28年ぶりに奪い返した街だ。記者が訪れたのは今年7月末。小銃を手にした兵士が警戒に当たる中、多くの労働者が復興作業を続けていた。一般市民の帰還はまだ許されていない。停戦から8カ月以上がたっても、多くの建物の屋根やガラスは壊れ、壁には銃弾の痕が残ったまま。激しい戦闘が繰り広げられた様子がうかがい知れた。 

29年ぶりに故郷に戻った喜び

 忙しく作業に当たる労働者の中でシュシャ出身者を見つけた。ユシフ・ミルゾエフさん(52)。「自分の家が戻ってきた。この感情は言葉で言い表せない」。長い間、訪れられなかった自宅を見たときの気持ちを聞くと、そう言ってほおを崩した。

 アルメニア系住民が多数を占めていたナゴルノカラバフ。ソ連の指導部は二つの民族が対立するような環境を残すことにより、連帯して中央に反発するのを防ぐ狙いも込めて、アゼルバイジャン共和国に組み込んだとされる。共産党の支配が緩んだソ連末期に民族運動が高まり、アルメニア系住民は91年に独立を宣言し、アゼルバイジャンとの紛争が本格化した。

 シュシャはナゴルノカラバフの中でアゼルバイジャン系住民が多数を占める数少ない都市で、激しい攻防戦が繰り広げられた。ミルゾエフさんも当時、自ら銃を取って街の防衛に当たった。だが、アルメニア人の攻撃が激しさを増した92年5月、残った住民らとバスで避難した。途中で敵の銃撃を受け、2人の同乗者が負傷した。だが、それ以上に胸が痛んだのが砲撃で燃え上がる故郷の姿だった。「男性も女性も涙が止まらなかった」と振り返る。

3000人の犠牲を払い奪還

 90年代の紛争ではアルメニア人勢力がナゴルノカラバフと周辺7地区を占拠する勝利を収めた。領土の約2割を失ったアゼルバイジャンでは約100万人もの避難民が生まれた。失地回復が国是となった。天然資源の売却による資金で友好国のトルコなどから無人機などの最新兵器を購入。20年秋の紛争では少なくとも約3000人の犠牲を払いながら、アルメニア人勢力から多くの領土を取り戻し、国民は勝利に沸いた。

 アゼルバイジャンの首都バクーで30年近くにわたり避難生活を続けていたミルゾエフさんも雪辱に歓喜した一人だ。シュシャの復興作業に志願し、今年6月にやっと自宅を訪れることができた。戦闘で一部が破損したとみられるが、屋根や壁などは昔のまま。紛争前までアルメニア人の家族が暮らしていた形跡が残っていた。「自分たちの街ではないから、アルメニア人はここを去った」。そう話すミルゾエフさんは「早く家族を呼び寄せたい。ここはアゼルバイジャンの土地だ」と語気を強めた。

 一方、敗北したアルメニアでは、正反対の空気が漂う。それは、90年代の紛争に敗れたアゼルバイジャンも経験した強い憎しみだ。

敗れたアルメニア人の悲しみ

 アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノカラバフの第2の都市シュシャは、アルメニア語でシュシと呼ばれる。古い教会やモスク(礼拝所)などの文化遺産が多く、キリスト教国のアルメニアとイスラム教国のアゼルバイジャン両国にとって宗教的、文化的に重要な都市と位置づけられてきた。

 「シュシは19世紀までアルメニア人の街だった。あそこは我々の土地だ」

 2020年秋の紛争でアゼルバイジャンが支配権を奪い返したシュシャからアルメニアの首都エレバンに避難してきたエリクナス・ガブヤンさん(39)はそう訴えた。シュシャはソ連時代にアゼルバイジャン系住民が多数を占めていたが、元々アルメニア系住民が多かったともいわれている。

 ガブヤンさんはナゴルノカラバフの北に隣接する地区で生まれたが、1990年代の紛争中に故郷を追われ、シュシャに移住。街を去ったアゼルバイジャン系住民が残した家で育ち、その後は教師として学校で街の歴史を教え、夫との間に4人の子供にも恵まれた。しかし、20年10月下旬、アゼルバイジャン軍による爆撃の中、着の身着のまま、子供らと避難した。

 紛争中にガブヤンさんは複数の教え子や夫の親族らを亡くした。「遺体から目や耳が切り取られたこともあった。アゼルバイジャン人とは一緒に暮らすことはできない」。そう憎しみを繰り返したが、一方でこうも漏らした。「90年代に…

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