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沖縄、台湾をつむぐ

琉球王に仕えた名家・川平家。琉球処分から日本統治下の台湾、戦後の沖縄へ。激動の時代をたどり、沖縄と台湾を見つめます。

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川平家物語/29 互助会で「日僑」の援護係に

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級友の山田新一さんから届いたはがき。占領軍による検閲印が押されている=川平朝清さん提供(画像の一部を加工しています)
級友の山田新一さんから届いたはがき。占領軍による検閲印が押されている=川平朝清さん提供(画像の一部を加工しています)

 敗戦翌年の1946年3月に台北高等学校高等科を卒業した18歳の川平朝清(かびらちょうせい)さん(94)は、台北で日本人による互助組織「台北日僑(にっきょう)互助会」で働き始めた。日本人の引き揚げが始まっていたにもかかわらず就職したのは、沖縄出身者の沖縄への引き揚げ時期が見通せなかったからだ。

 中華民国による日本人の引き揚げ管理組織として「台湾省日僑管理委員会」が45年12月に設立された。46年2月から4月にかけて日本人約28万人が送還されたが、一部の人は台湾復興に必要だとして当局に留用された。

 「留用日僑」と呼ばれた留用者7174人とその家族は計2万7612人。他にも「残余日僑」と呼ばれた人たちがいた。施設に保護された戦争孤児や療養所にいた高齢者や病人など、さまざまな理由で残っていた。中には帰国を拒んで違法に滞在し続けた「潜伏日僑」と呼ばれた人もいた。

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