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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

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/565 東高野街道/56 柏原市、藤井寺市、羽曳野市 「夏の陣」舞台は古墳 /大阪

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後藤又兵衛が奮戦した小松山は玉手山1号墳だ=柏原市片山町で2021年11月12日、松井宏員撮影
後藤又兵衛が奮戦した小松山は玉手山1号墳だ=柏原市片山町で2021年11月12日、松井宏員撮影

 玉手山公園(柏原市玉手町)の大坂夏の陣(1615年)ゆかりの碑、討ち死にした後藤又兵衛と、その首を隠し埋めたとされる吉村武右衛門の銘文から戦闘の模様を想像しつつ、先へ目をやると、小丘になっている。玉手山古墳群のうち最大(全長約150メートル)の7号墳だ。

 その頂に石塔が建っている。豊臣方、徳川方双方の戦死者を弔う「両軍戦死者供養塔」だ。玉手山公園に接して安福寺というお寺がある。元は奈良時代、行基が開いたとされるが、江戸時代前期の1670年、尾張徳川家の2代目、徳川光友が、仏教の師である珂億(かおく)円信上人を支援して再建。自分の菩提(ぼだい)寺とした。供養塔は、この珂億上人が建立したと伝わる。

 ここから大坂夏の陣の戦跡をたどって、3市を転々とする。豊臣方の後藤又兵衛が孤軍奮闘した小松山(柏原市片山町)は、近鉄河内国分駅の西に位置する。標高70メートル近くあって、長い石段を上るか、だらだら坂を上がっていくかだ。上がった所には、ポッコリと小丘が。これが玉手山1号墳。その頂に、又兵衛隊に突っ込んでいって討ち取られた奥田三郎右衛門忠次の供養碑が建つ。忠次の働きで奥田家は500石加増されたという…

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