自分の中にもあった偏見 五木寛之さんが「絶望的」と語る意味
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ジャーナリストの池上彰さんが「憧れの作家」という五木寛之さん(89)と初めて対談した。小説やエッセーなど半世紀以上にわたって筆を執ってきた五木さんは、親鸞を慕い、小説のテーマに取り上げてきた理由や、平壌(北朝鮮)からの引き揚げ体験、さらにジェンダー(社会的、文化的につくられる性差)意識の高まりに伴う表現の難しさについて胸の内を明かした。【構成・須藤唯哉】
五木さん「人生観変わらないが…」
池上 私が初めて読んだ五木さんの作品は「蒼ざめた馬を見よ」でした。当時は学生で、そのあたりから出る本、出る本をずっと読みふけっていました。
五木 恐縮です。雑多な本を次から次へと書いてきて相当反省して、最近は少し控えているところなんですが。
池上 コロナ禍ではどのように過ごされてきましたか。
五木 本当にステイホームで、生活が変わりました。夜型だった60年来の生活ががらりと変わって、今は朝7時半に起きて、夜は0時には寝ています。講演会も、頼まれれば地方へも行くようにしていたのですが、昨年だけで二十数件キャンセルが出ました。だから今は本を読むことしかすることがない生活を続けています。
池上 人生観は変わったのでしょうか。
五木 全然変わらないですね。少年時代に作られたものの考え方から一歩も進歩していない。これは本当にどうしようもないと思いますね(笑い)。
ただ、この数年来、ジェンダーの問題がよく取り上げられますが、私もつい不用意な言葉を書いてしまう。この前も「女流作家」という言葉を使ってしまいました。そんなことがしょっちゅうあります。「女々しい」や「雄々しい」という言葉も同じ問題です。
「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」と呼ばれますが、ジェンダーの問題について理解しているつもりでも、心の中でバイアスがかかってしまい、悪い状態から抜け出せない骨がらみになっている。ありとあらゆる偏向や偏見が、自分の中にこれほどたくさん詰まっていたのかと思うと驚きであり、絶望的です。だって、なかなか克服できないんですから。
池上 そこに気づかれただけでも素晴らしいのではないでし…
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