日仏友好支えた仏人兵士墓地 「友好の証し」で追悼式典 広島

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新たに設置された説明板について語る在京都フランス総領事館のジュール・イルマン総領事(右端)ら=広島市南区比治山公園で2021年11月19日午後4時34分、賀有勇撮影
新たに設置された説明板について語る在京都フランス総領事館のジュール・イルマン総領事(右端)ら=広島市南区比治山公園で2021年11月19日午後4時34分、賀有勇撮影

 瀬戸内海を見下ろす広島市南区の比治山にある陸軍墓地の一画にフランス人兵士7人が埋葬されている墓地がある。その歴史を広く知ってもらおうと、19日には説明板が新たに設置され、現地で追悼式典が執り行われた。1900年にできたフランス人墓地は、約1万キロ離れた日本とフランスの心の距離を縮める日仏の友好の証しとして、住民らが管理し続けてきた。

 墓地の由縁は1900(明治33)年の中国、清朝末期の出来事までさかのぼる。「義和団」と呼ばれる秘密結社による在外公館などを標的にした排外運動「義和団の乱」が発生し、01年に鎮圧に当たった欧露米日8カ国が北京に進駐。義和団の乱で負傷したフランス兵士約120人が日本赤十字社の病院船「博愛丸」などで広島に搬送され、当時の陸軍病院で治療を受けた。手厚い看病の結果、回復したフランス兵は母国に帰還を果たした…

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