「普通にできない常識人」 談志さん没後10年 小朝さんに聞く
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落語界や芸能界を騒がせ続けた、落語家の立川談志さんが75歳で亡くなって11月21日で10年。落語ファンにも、そうでない人にも強烈な印象を与えながら駆け抜けた生涯だった。あれから10年、若い頃から談志さんに可愛がられた春風亭小朝さんに、「天才」「狂気」と呼ばれた談志さんの“実像”を聞いた。【油井雅和/デジタル報道センター】
「つまんなくなっちゃったな」
――談志師匠が亡くなって10年。早いですね。
◆ひとことで言うと、(いなくなって)つまんないなあ、という感じです。絶対にいてほしい方ですからね。談志師匠が好きな方は、皆さんそう思っているんじゃないでしょうか。つまんなくなっちゃったなと。(古今亭)志ん朝師匠や(柳家)小三治師匠とは別の感じなんですよね。特別な存在みたいな方だったので。それがもう10年かと。
談志師匠は晩年ずっとおっしゃってましたが、結局、(落語の)力のあるやつが自分一人で突っ走るのが一番いい、という考え方ですよね。教えてどうのこうのではなくて。勝手にやれということなんですよ。そうすれば、分かるやつは分かって付いてくるし、伸びてくるやつもいるだろうしと。結局そこなんですよね、師匠が行き着いたのは。
長い「まくら」を生み出す
――談志師匠が残したもの、次代に伝えたものは何だと思いますか。
◆談志師匠の存在で一番大きかったのは、落語のことで言えば(落語に入る前に話す)「まくら」なんですよ。僕が入った頃(1970年に五代目春風亭柳朝に入門)は、(「昭和の名人」の一人で八代目)先代の桂文楽師匠の「まくらが長いやつに、うまい噺家(はなしか)はいない」というのが浸透してたんです。長かろうが短かろうがまくらはおもしろけりゃいいじゃないかと、打ち破ったのが談志師匠で、結局それが、先代(五代目三遊亭)円楽師匠や(長いまくらが書籍にもなった柳家)小三治師匠にも少なからず影響を与えてるんですよ。
斜めや裏から見る見方や真摯さ
しかも、ただ現代のことをしゃべればいいということではなくて。大分前に、ある有名人の息子さんが裏口入学したことがあって、たまたま談志師匠の高座に立ち会っていたら、談志師匠はそういう事件があったということをまくらで振ったんです。
「悪く言うけれども、裏口入学させてやるという話があって、あんたらそれだけの金があったら払って入れてやるだろ」って言ったら、お客さんたちがワッと笑ってみんなうなずいていたんですよ。
世間的には裏口入学は悪いことだけれども、親の愛というところで斬り込んでいく。そういう斬り込み方をまねする人が増えましたね。斜めとか裏から見るという、物の見方を。その影響はあったなと思います。
それから、落語に対する姿勢ですね。あんなにずっと落語のことを考えている人はいない。例えば普段話していても、一つの噺のことで、誰がどうやってた、こうやってたと、すごい情報量がばーっと出てくるんですね。あの真摯(しんし)な姿勢も影響があったと思います。(古今亭)志ん朝師匠も人一倍考えていらっしゃるけど、それをあまり表に出さないところが対照的でした。
自分の落語を変える難しさ
あと、談志師匠くらい実力のある方でも、落語がうまくなるとか、落語を変えるということは本当に大変なんだということも、身をもって教えてくれました。
強烈だったのは、東京・大久保の師匠のマンションで二人で話した時のこと。
「こないだ志ん朝と『美弥』(東京・銀座にあった談志さん行きつけのバー)で飲んだんだよ。オレはな、志ん生を継げって言ったんだよ。そしたら志ん朝が『兄(あに)さん、口上に出てくれる?』って言うから、出るって言ったんだよ。だけどその代わりもっとうまくなれよと言ったんだ」
談志師匠は、そこまでは笑ってしゃべってたんですよ。それで僕が「そうですか、志ん朝師匠はどうしたらもっとうまくなるんですか」と聞いたとたんに、談志師匠は、げんこで机を思いっきりドンとたたいて「オレだって分かんねえんだよ」って大声で叫んだんです。
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