「へいりの様に踏みにじられた」建議書 沖縄復帰50年、変わらぬ願い

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沖縄の本土復帰に向けた要望をまとめた琉球政府作成の「復帰措置に関する建議書」(複製版)=沖縄県南風原町の県公文書館で2021年10月28日午前10時20分、喜屋武真之介撮影
沖縄の本土復帰に向けた要望をまとめた琉球政府作成の「復帰措置に関する建議書」(複製版)=沖縄県南風原町の県公文書館で2021年10月28日午前10時20分、喜屋武真之介撮影

 「基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」

 沖縄の本土復帰を翌年に控えた1971年11月17日、琉球政府(後の沖縄県)トップの屋良朝苗(やらちょうびょう)主席は米国統治下にあった沖縄から東京へと向かっていた。その手にあったのは復帰に対する要望をまとめた132ページの「建議書」。そこには、住民約9万4000人(推計)が犠牲となった45年の沖縄戦を経て、米国統治による人権抑圧に苦しんできた沖縄の人たちが求める復帰の「理想」がつづられていた。

 だが、屋良主席が政府や国会に建議書を届けようと羽田空港に降り立ったちょうどその頃、日米が6月に調印した沖縄返還協定の承認案を自民党が衆議院の特別委員会で抜き打ち的に強行採決。この特別委での可決によって、沖縄は多くの米軍基地を残したまま72年に日本復帰することが決定的になった。建議書の提出は間に合わず、沖縄の人たちの「願い」は顧みられなかった。

 屋良主席はこの日の心境を日記に書き残した。「党利党略の為(ため)には…

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