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常夏通信

その121 戦没者遺骨の戦後史(67)「軍人優先」の遺骨収容でいいのか

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大阪空襲の被害者の供養塔(左)。引き取り手のない遺体2870体が埋葬された=大阪府豊中市の大阪市設服部霊園で2020年8月1日、栗原俊雄撮影
大阪空襲の被害者の供養塔(左)。引き取り手のない遺体2870体が埋葬された=大阪府豊中市の大阪市設服部霊園で2020年8月1日、栗原俊雄撮影

 厚生労働省のホームページには「地域別戦没者遺骨収容概見図」という資料が掲載されている。海外で亡くなった240万人(多くが軍関係者)について、地域別の戦没者と収容された遺骨の数が掲載されている。そのうち政府は国の事業としてこれまでに127万6000体を収め、今後も継続する方針だ。だが、これまで国が進めてきたのは、主に海外の軍人・軍属が中心だった。しかし足元の国内、米軍機の無差別爆撃などで亡くなった民間人に関しては熱心とはいえない。今からでもしっかり調査し一体でも多く収容するのは、戦争を始めた国の責務だ。【栗原俊雄/学芸部】

空襲被害者は自治体任せ

 米軍の無差別爆撃により国内で亡くなったのは、主に民間人だ。民間人の遺骨に関しては戦後、政府は積極的に取り組んでこなかった。まともな調査すらしなかった。その結果、空襲による全国の死亡者数や遺体や遺骨の取り扱いについては不明なままだ。

 たとえば約50回の空襲があった大阪では、死者・行方不明者が約1万5000人に上った。特に大阪市の被害が大きく、米爆撃機B29が100機以上来襲した大空襲は8回に及んだ。膨大な遺体を正規の手続きで火葬して埋葬することはできず、市内各地に仮埋葬された。寺の敷地はまだましなほうで、防空壕(ごう)、防火用水槽や井戸など、葬るのに到底ふさわしくない場所もあった。仮埋葬地は50カ所とされるが、正確なところは分かっていない。戦後、約3300体が掘り起こされ、他の墓地や納骨施設などに移された(改葬)。

 また東京への空襲は100回以上、10万人以上が虐殺された。こちらも寺や空き地などに仮埋葬された。「東京都戦災誌」(東京都編、1953年)によれば、仮埋葬地は「約150カ所」とあるが、具体的に場所が分かるのは80カ所ほどでしかない。こちらも戦後掘り起こされて改葬された。ただ大阪同様、もともとどこに何体埋葬したか正確な記録がない。このため、すべての遺体を仮埋葬地から改葬したとは考えにくい。今も多くが都会の土の中に埋まっているか、土に返っているとみられる。

 52年、政府は海外の戦没者遺骨についての調査や収容を開始した。国内の民間人被害者についても、…

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