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東京都心から1250キロ南の硫黄島では、米軍との戦闘で日本軍守備隊およそ2万1900人が戦死した。福岡県・昭代村(現柳川市)出身の近藤龍雄さんはその一人。遺族は昨年、遺骨の帰還を願い厚生労働省にDNA鑑定を申請していた。その返事が今夏、あった。遺族が提出した検体と、政府が保管していた遺骨との間に、血縁関係は認められなかった。「でも私たちはあきらめません」。孫の近藤恵美子さんはそう話す。会ったことのない祖父の遺骨の帰還を信じて待つ。戦闘は終わっても、戦争は終わっていないのだ。【栗原俊雄/学芸部】
祖父への思いを胸に
日本政府によるDNA鑑定は、2003年に始まった。今年3月末現在で約1200体の身元が判明し返還されている。ほとんどがシベリア抑留の犠牲者で、太平洋戦争の主戦場だった南方は20体ほどしかない。
厚労省は遺骨に加え、身元の推定につながる遺品、たとえば印鑑や記名のある万年筆、あるいは埋葬記録などが見つかった場合にのみ鑑定するとした。しかし、激戦地でそれらがセットで出てくるのは極めてまれだ。このため、せっかく収容しても保管されたままになるケースが続出した。一方、シベリア抑留の場合は第二次世界大戦終結後で戦闘がなく、加害者であるソ連側が埋葬記録などを残していたことなどから進んだ。
「鑑定の条件が厳しすぎる」。遺族らからのそうした批判を受けて、政府は2016年には沖縄県の4地域でこの「遺品縛り」を外した。部隊記録などから戦没した地を特定できる可能性があるためだ。翌17年には対象地域を同県の10カ所に拡大した。
一年中戦争報道=「8月ジャーナリズム」をやっている常夏記者こと私(栗原)は、ときおり戦争や戦後補償問題をテーマにした講演や講義に招かれる。18年1月、真宗大谷派(東本願寺)から講演の依頼を受けた。その時に担当してくれたのが同派の近藤恵美子さんだった。
「祖父が硫黄島で亡くなっているんです」。そう聞いて、私は彼女にDNA鑑定を申請するように勧めた。しかし、厚労省は「遺品縛り」を盾に断った。「よし、それなら沖縄の10地域と同じ条件を整えてみせよう。龍雄さんが硫黄島のどこにいたか、調べてみよう」。私はそう思った。美恵子さんは部隊名などの詳細は把握していなかった。
軍歴を調べると、陸軍に召集され1944年7月に渡島していた。所属部隊は「陸軍混成第2旅団中迫撃砲第2大隊」と判明した。同部隊の配置が、硫黄島西北部の大坂山地区だったことも。さらに、厚労省は同地区で200体を収めており、うち26体はDNA鑑定が可能と分かった。
記名の品や埋葬記録はないが、資料によって戦没者が埋まっている場所が明らかになった。そして、そこから遺骨が収容され、DNA鑑定が可能な状態だ。つまり沖縄の10地域と同じ条件が整ったのだ。私は福岡・柳川に向かい、龍雄さんの息子2人、妹と弟にも話を聞いた。みな、帰還を強く願っていた。
それでも、厚労省の姿勢は変わらなかった。…
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