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渋沢栄一は1873(明治6)年5月、大蔵省に辞表を出した。
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実業界に身を投じた栄一がまず行ったのは、銀行の創設だった。産業発展のため、経済社会の隅々にまで起業の元手となる資金を融通する「動脈」が肝要と考えたのだ。
「日本初の近代的銀行」とされる第一国立銀行が現在の東京都中央区日本橋兜町に開業したのは73年7月20日。木骨石組の洋風建築の上に城の天守を思わせる塔屋が乗った5階建て和洋折衷の本店建物は、錦絵にも数多く描かれる東京の名所となった。跡地には現在、みずほ銀行兜町支店があり、入り口近くの壁面には「銀行発祥の地」の銘板が設置されている。
第一国立銀行は、栄一が大蔵省時代に草案を作って72(明治5)年に公布された国立銀行条例に基づいて設立された銀行の第1号。名称は近代的銀行制度の手本とした米国のナショナルバンクを直訳したため「国立銀行」となったが、実態は民間企業だ。
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