連載

鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」

膨大な取材メモの中から、珠玉の一言を拾い上げる。社会問題を追い続けてきた反骨のルポライターが、これまでに出会い、感銘を受けた人々を振り返り、戦後史の一こまを切り取っていく。

連載一覧

鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」

「どんな非難、中傷、謀略ビラでたたかれようと、摩文仁の戦場に…」 沖縄県知事 大田昌秀 /山梨

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
1996年4月18日、橋本首相主催の昼食会後、クリントン米大統領と言葉を交わす大田昌秀沖縄県知事。「基地を見てほしい」と言われ、大統領は困惑した表情を見せた=東京都内のホテルで
1996年4月18日、橋本首相主催の昼食会後、クリントン米大統領と言葉を交わす大田昌秀沖縄県知事。「基地を見てほしい」と言われ、大統領は困惑した表情を見せた=東京都内のホテルで

 ◆「どんな非難、中傷、謀略ビラでたたかれようと、摩文仁の戦場にもどったつもりでやれば、乗り切っていけます」 沖縄県知事 大田昌秀

激戦地での体験が原点

 大田昌秀さんに何年ぶりかでお会いすると、開口一番、「ドン・キホーテと書かれましたね」と笑顔をみせた。沖縄県知事に就任した日に、わたしが取材した記事を思い出していたようだった。「政治の力関係を無視した主張は、やがてドン・キホーテの謗(そし)りを招かないともかぎらない。どこか悲劇の政治家ゴルバチョフの風貌を思わせる当人は、それも先刻承知の様子である」(「AERA」1991年1月15日号)と書いた。

 県議会内での少数与党だった。3万票の票差で前任者の西銘順治氏の4選を阻止した。公約は「基地撤廃」。まるで巨大な米軍基地に立ちむかう、セルバンテス作品の主人公のようだった。そのこともあってか、8年あとの98年、3期目の県知事選では、出所不明の不穏なポスター「9・2%」(当時の沖縄県の失業率)、「県政不況」などの悪宣伝と攻撃にさらされた。

この記事は有料記事です。

残り1150文字(全文1593文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る

ニュース特集