歴史に埋もれたハワイ収容所 「二つの祖国」はざまで2000人選別
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太平洋戦争の発端となった日本軍による米ハワイ・真珠湾攻撃から80年に合わせ、関係者を訪ねた連載「あの日、真珠湾で」の第3回は、日系アメリカ人史の中で埋もれたハワイの日系人強制収容所を取り上げる。強制収容のターゲットが選別された特殊事情から、ハワイでは収容所生活をした日系人が周辺からスパイ視されるなどし、長い間、沈黙が続いていた。【福永方人/ロサンゼルス支局】
観光客でにぎわう米ハワイ州ホノルルのワイキキ地区から北西に約30キロ。森に覆われたホノウリウリという地域に太平洋戦争中、日系人の強制収容所があった。日米開戦を機に米西海岸の日系人が「敵性外国人」として強制収容された事実は有名だが、「ホノウリウリ収容所」は閉鎖後、草木にのみ込まれ、その歴史は文字通り埋もれた。
「ほとんどの人が収容所があったことすら知りませんでした」。収容所の調査を主導した日系3世のジェーン・クラハラさん(90)は振り返る。
秘史が掘り起こされたのは1998年、日系人の歴史保存に取り組むハワイ日本文化センター(JCCH)に、地元テレビ局が収容所の場所を問い合わせたことがきっかけだった。JCCHに記録がなかったため、クラハラさんらボランティア職員が中心となり、写真や文書を収集するなど調査に乗り出した。収容所の跡地が特定されたのは2002年。閉鎖から60年近くがたっていた。跡地は15年、ハワイ出身のオバマ大統領により国定史跡に指定された。現在は手前に民間企業の農場があり、近づくことはできない。ハワイの日系人収容所は、オアフ島以外も含め17カ所が確認されている。
「一体自分はアメリカのために、どんな悪い事をしたのであろうか。まじめに働き、税金を納め、市民としての義務を果たし、警察の厄介になった事など一度もなかったのに」
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