堀見智子さん(88) 原爆で負ったやけどの看護で感じた思い
毎日新聞
2021/12/9 07:05(最終更新 9/2 15:23)
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「背中じゅうに赤いやけど。小さな糸のようなウジ虫が(背中に)湧いているんです。お薬を塗ってあげるのかなと思ったんですが、箸みたいな棒を持たすんです。それが治療なんです」
11月7日、神奈川県大和市などが主催し、市内の学習施設で開いた「戦争体験を聞く会」。相模原市の元小学校教員、堀見智子さん(88)は約70人の聴衆を前に、ウジ虫を払い落とす動作を繰り返してみせた。
戦時中、家族と広島市の中心部で暮らしていた。国民学校を卒業する直前の1945年3月、自宅が建物疎開の対象として取り壊されることになり、約30キロ離れた山間部に疎開。広島県吉田町(現・安芸高田市)の高等女学校に進学した。女学校では授業はなく、毎日のように山の中で木の根を掘り起こす作業に従事。根の油を搾って兵器の燃料にするためだと聞かされた。8月6日の朝、いつものように作業をしていた時、遠方の空に見…
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