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次代への遺言~私が見た戦争

民戦後生まれが全体の8割を超え、戦争の実相を知る体験者は減り続けています。体験者の「次代への遺言」を映像で記録します。

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次代への遺言~私が見た戦争

堀見智子さん(88) 原爆で負ったやけどの看護で感じた思い

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戦時中の広島での体験について語る堀見智子さん=神奈川県大和市で2021年11月7日、渡部直樹撮影(写真は動画から)
戦時中の広島での体験について語る堀見智子さん=神奈川県大和市で2021年11月7日、渡部直樹撮影(写真は動画から)

 「背中じゅうに赤いやけど。小さな糸のようなウジ虫が(背中に)湧いているんです。お薬を塗ってあげるのかなと思ったんですが、箸みたいな棒を持たすんです。それが治療なんです」

 11月7日、神奈川県大和市などが主催し、市内の学習施設で開いた「戦争体験を聞く会」。相模原市の元小学校教員、堀見智子さん(88)は約70人の聴衆を前に、ウジ虫を払い落とす動作を繰り返してみせた。

 戦時中、家族と広島市の中心部で暮らしていた。国民学校を卒業する直前の1945年3月、自宅が建物疎開の対象として取り壊されることになり、約30キロ離れた山間部に疎開。広島県吉田町(現・安芸高田市)の高等女学校に進学した。女学校では授業はなく、毎日のように山の中で木の根を掘り起こす作業に従事。根の油を搾って兵器の燃料にするためだと聞かされた。8月6日の朝、いつものように作業をしていた時、遠方の空に見…

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