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沖縄復帰50年

2022年5月15日、沖縄は本土に復帰して50年を迎えました。何が変わり、何が変わっていないのか。沖縄の歩みと「今」を伝えます。

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沖縄「復帰50年」の群像

「人間だぞ、俺たちは」 コザ「蜂起」で渦巻いた、いのちの叫び

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史上初めての「反米軍市民蜂起」となったコザ騒動=1970年12月20日未明、沖縄県コザ市(現沖縄市)の中心街で(琉球新報社提供)
史上初めての「反米軍市民蜂起」となったコザ騒動=1970年12月20日未明、沖縄県コザ市(現沖縄市)の中心街で(琉球新報社提供)

 「ユタカ、デージ(大変)よ。ウキレー(起きろ)」

 「何ね」

 「イクサ(戦争)か、革命かも」

 沖縄の日本復帰が1年半後に迫った1970年12月20日午前2時を過ぎ。コザ市(現在の沖縄市)中心街の「アジト」で寝入っていた佐渡山豊さんは、駆け込んできた友人にたたき起こされた。

 この時20歳。琉球大学に入学したのを機に、家族の多い実家を離れ、友人宅の2階を勉強部屋として借りた。気が合う友人が集まってはユンタク(おしゃべり)し、酒盛りもする。狭いが、「アジト」と呼べる自分だけの空間だった。そこへ飛び込んできたただならぬ話だ。騒ぎのする通りに走った。

 このころ、歴史上で初めての「反米軍市民蜂起」(石原昌家・沖縄国際大学名誉教授)が始まっていた。新聞報道、米軍資料を整理して時間を追う。

 午前1時。米兵の運転する乗用車が歩行中の住民をはね、けがをさせた。MP(米軍憲兵隊)とコザ警察署の捜査員が駆けつけた。MPは加害者を帰そうとした。米軍のいつもの「事故処理」だ。しかし、これを見つめていた約50人の住民はいつもとは違う行動に出た。

 「ちゃんと調べろ」「酒気帯び運転じゃないか」

 抗議の輪が広がった。ちょうどこの時間は、近くの飲み屋街の閉店に重なっていた。人は増えていく。

 午前2時10分。事故現場から約100メートル離れた路上で、米兵運転の乗用車が住民運転の乗用車に追突した。500人に膨れ上がった抗議の住民は、この第2現場にも分散移動した。

 午前2時25分、約300人の群衆が憲兵車両を横転させる。近くの派出所に待機していたMP約15人がピストルを抜いて威嚇…

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【沖縄復帰50年】

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