「人間だぞ、俺たちは」 コザ「蜂起」で渦巻いた、いのちの叫び
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

「ユタカ、デージ(大変)よ。ウキレー(起きろ)」
「何ね」
「イクサ(戦争)か、革命かも」
沖縄の日本復帰が1年半後に迫った1970年12月20日午前2時を過ぎ。コザ市(現在の沖縄市)中心街の「アジト」で寝入っていた佐渡山豊さんは、駆け込んできた友人にたたき起こされた。
この時20歳。琉球大学に入学したのを機に、家族の多い実家を離れ、友人宅の2階を勉強部屋として借りた。気が合う友人が集まってはユンタク(おしゃべり)し、酒盛りもする。狭いが、「アジト」と呼べる自分だけの空間だった。そこへ飛び込んできたただならぬ話だ。騒ぎのする通りに走った。
このころ、歴史上で初めての「反米軍市民蜂起」(石原昌家・沖縄国際大学名誉教授)が始まっていた。新聞報道、米軍資料を整理して時間を追う。
午前1時。米兵の運転する乗用車が歩行中の住民をはね、けがをさせた。MP(米軍憲兵隊)とコザ警察署の捜査員が駆けつけた。MPは加害者を帰そうとした。米軍のいつもの「事故処理」だ。しかし、これを見つめていた約50人の住民はいつもとは違う行動に出た。
「ちゃんと調べろ」「酒気帯び運転じゃないか」
抗議の輪が広がった。ちょうどこの時間は、近くの飲み屋街の閉店に重なっていた。人は増えていく。
午前2時10分。事故現場から約100メートル離れた路上で、米兵運転の乗用車が住民運転の乗用車に追突した。500人に膨れ上がった抗議の住民は、この第2現場にも分散移動した。
午前2時25分、約300人の群衆が憲兵車両を横転させる。近くの派出所に待機していたMP約15人がピストルを抜いて威嚇…
この記事は有料記事です。
残り2900文字(全文3579文字)
時系列で見る
-
台湾原住民の歴史に学ぶ 多様性の視点が気付かせた沖縄への思い
594日前 -
原住民の「娘」が見た台湾と沖縄 重なる歴史、複眼でとらえ直す
601日前 -
沖縄、本土復帰50年
622日前注目の連載 -
国会議員に聞く/下 平和の願い、実現遠く 赤嶺政賢・衆院議員
629日前 -
国会議員に聞く/上 教育、福祉取り残され 島尻安伊子・元沖縄担当相
630日前 -
「幸福を実感できる島に」 沖縄復帰50年、知事インタビュー
630日前 -
沖縄復帰50年=回答・遠藤孝康
632日前 -
沖縄、本土復帰50年でも残る課題 活躍の場広げる「復帰っ子」
640日前 -
「ウチナーグチ」は誇り うたが沖縄に与えた勇気、もらった勇気
650日前 -
「人間だぞ、俺たちは」 コザ「蜂起」で渦巻いた、いのちの叫び
657日前 -
コロナ不況の沖縄経済、観光依存の将来は 日銀那覇支店長に聞く
660日前 -
売れぬ紅芋「餌にするしか」 苦境の沖縄、観光以外の道はあるか
660日前深掘り -
岸田首相 沖縄復帰50年記念式典、22年5月に開催を検討
662日前 -
ウタサー・佐渡山豊さんが世に放った「独り言」 苦難に響くうた
664日前 -
「へいりの様に踏みにじられた」建議書 沖縄復帰50年、変わらぬ願い
678日前動画あり -
重なる織物づくりと平和への道行き 「恩人」の心を次代へつなぐ
685日前 -
「ウワイスーコー」で見つめ直し 文化財になった沖縄の戦争遺跡
692日前 -
「平和への見張り役に」学童疎開船・対馬丸撃沈、生き延びた母の語り
699日前 -
「記憶すべき命日」6月19日 糸満の戦場で生き残った恩師
706日前