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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

オペラ評論家の香原斗志さんが、往年の名歌手から現在活躍する気鋭の若手までイタリアのオペラ歌手を毎回1人取り上げ、魅力をつづります。

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香原斗志「イタリア・オペラ名歌手カタログ」

<第23回> ルネ・バルベラ(テノール)

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ルネ・バルベラ=新国立劇場オペラ「チェネレントラ」より 撮影:寺司正
ルネ・バルベラ=新国立劇場オペラ「チェネレントラ」より 撮影:寺司正

余裕の超高音と、鮮やかな装飾歌唱と、なめらかな歌唱

いまや理想的なベルカント歌手に成長

 ロッシーニをはじめとする「ベルカント」のレパートリーを十全に歌うためには、少なくとも、2つの能力が欠けていてはいけない。ひとつは言うまでもなく、小さな音符がぎっしりと並んだ装飾的なパッセージを、敏捷(びんしょう)かつ鮮やかに歌い抜ける能力だが、それだけでは足りない。声をやわらかく用いてなめらかに歌い、フレーズに色彩やニュアンスを加える力も欠かせない。

 ルネ・バルベラは、キャリア初期から装飾歌唱はたくみだったが、2つ目の力には、まだ磨く余地が残されていた。ところが、2021年10月に新国立劇場で歌ったロッシーニ「チェネレントラ」の王子ドン・ラミーロでは、むしろ歌唱に加わったなめらかさがゆえに、役に説得力があった。特に第1幕、ヒロインのアンジェリーナとラミーロが出逢う二重唱。思いがけぬ心のときめきを描く、甘くやわらかい弱音から高音までの声の運びが極めてなめらかで、そこに鮮やかなアジリタが加わった。

 歌手の技巧の空疎なひけらかしではないかと、ときに誤解されている歴史的なベルカントが、いかに聴き手の琴線に触れるものであるかを、ステップアップしたバルベラの歌唱は、力強く証明していた。ずんぐりとした体形は、視覚的には王子のイメージではないが、歌唱を通して耳に感じられたのは、まぎれもない美貌の王子であった。

 2008年にMETの「ナショナル・カウンシル・オーディション」に合格し、2011年にはプラシド・ドミンゴ主催のコンクール「オペラリア」の3部門を制し、キャリアを歩みはじめたバルベラ。私がはじめて聴いたのは2015年、ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)における「泥棒かささぎ」のジャンネットだっただろうか。アジリタが巧みなニューフェイスの歌唱は、私のなかにしっかりと刻みこまれた。ROFでは翌年にも「イタリアのトルコ人」のナルチーゾに起用され、ロッシーニ・テノールとしての存在感を示した。

 ただ、そのころは少し硬さもあったが、2018年4月にミラノ・スカラ座でドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」のエルネストを聴くと、なめらかで洗練されたレガートに、たしかな成長のあとが明らかに読みとれた。2020年2月、新国立劇場でのロッシーニ「セビリャの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵も、記憶に残る歌唱だった。この公演は12月24日から2022年1月14日まで「新国デジタルシアター」で配信される。

 それらを超えて、それも大きく超えて強い印象を残したのが、先述のドン・ラミーロであった。第2幕のアリアでは、超アクートが自在であることも強烈に伝わった。高いCがさほど高く聞こえないほどで、本人もそれを認識しているのか、後半部を反復する前にDを加えていたが、さらに驚いたことには、観客がアンコールを求めるのに応え、Dを含めてもう一度、なんら疲れも力みもみせずにサラリと繰り返し、圧巻だった。

 彗星(すいせい)のように現れながら、その後、歌唱に磨きがかからないどころか、次第にくすんでいく歌手もいる。一方、聴くたびに成長のあとが見える歌手もいるが、その数は必ずしも多くない。そうであるためには、恵まれたポテンシャルと高い意識、問題をひとつずつ克服する普段の努力が欠かせない。ここに述べた「チェネレントラ」でアンジェリーナを歌った脇園彩も同様で、そういう2人がそろった舞台は、聴き手に幸福を運んでくれる。

筆者プロフィル

 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について原稿を執筆。声の正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)。共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。ファッション・カルチャー誌「GQ japan」web版に「オペラは男と女の教科書だ」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、近著に「カラー版 東京で見つける江戸」(平凡社新書)がある

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