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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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広島経済大学生 黒い雨ドキュメンタリー制作/下 言葉の記録積み重ねて 住民語る「すぐに死んだ」 /広島

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ドキュメンタリーの編集作業をする(左から)西野真李花さん、奥原芽衣子さん、梶岡尚大さん=安佐南区の広島経済大で、小山美砂撮影
ドキュメンタリーの編集作業をする(左から)西野真李花さん、奥原芽衣子さん、梶岡尚大さん=安佐南区の広島経済大で、小山美砂撮影

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を巡り、国の被爆者援護の対象区域外とされた湯来町(ゆきちょう)(現佐伯区)の集落に光を当てたドキュメンタリーに取り組んだ広島経済大メディアビジネス学科3年の3人。ドキュメンタリーのもう1人の主人公は、5歳の時に同町で雨を浴びた「黒い雨訴訟」原告の本毛稔さん(81)だ。

 本毛さんは、一緒にいた当時2歳の弟が雨の翌月に亡くなったと学生たちの取材に答えた。訴訟の原告団長、高野正明さん(83)も「叔父2人がすぐ死んだ」と話し、集落は住民らに「短命村(たんめいそん)」と呼ばれてきたと明かした。「証拠」として、遺体焼却場に学生たちを案内し、カメラに向かってこう語った。

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【広島・長崎原爆】

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