連載

沖縄、台湾をつむぐ

琉球王に仕えた名家・川平家。琉球処分から日本統治下の台湾、戦後の沖縄へ。激動の時代をたどり、沖縄と台湾を見つめます。

連載一覧

沖縄、台湾をつむぐ

台湾と深くかかわった「カール先生」、2・28事件も目撃

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
川平朝清さんが沖縄に渡る前に台湾省日僑管理委員会が発行した「琉僑検疫証明書」=那覇市歴史博物館提供
川平朝清さんが沖縄に渡る前に台湾省日僑管理委員会が発行した「琉僑検疫証明書」=那覇市歴史博物館提供

 1945年の敗戦後、台湾にいた沖縄出身者たちでつくる「台湾沖縄同郷会連合会」は、沖縄の琉球列島米国軍政府に早期引き揚げを求め続けていた。そんな折、軍政府で要職にあったローレンス少佐が台北を訪れた。

 少佐は連合会にもやってきた。事務局は南風原朝保(はえばる・ちょうほ)副会長が営む南風原医院の2階にあった。連合会はさっそく、南風原家に少佐らを招き、すき焼き鍋を囲んで宴会を開いた。理事の川平朝申(かびら・ちょうしん)さんは「沖縄の近況を聞いたり、引き揚げを前にした県人の希望などを山ほど訴えた」と書き記す。

 朝申さんは少佐らを台湾有数の温泉地・北投温泉に案内した。少佐は「沖縄は住むに家なく衣食でも米軍の食糧から分けたり(中略)しているほどで、軍政府では県外からの引き揚げ者の受け入れ対策をできるだけ早く確立したいと頭をねっているところである」と率直に語ったそうだ。混乱ぶりが伝わってきた。

 そんなころ、…

この記事は有料記事です。

残り4861文字(全文5263文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集