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超高精細な響き 新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

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 新国立劇場オペラパレスで上演されたワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の新制作上演(全3幕原語上演・日本語字幕付き、大野和士指揮、イェンス=ダニエル・ヘルツォーク演出)のステージを2回にわたって振り返る。初回はステージのレビューで取材したのは11月28日の回。(宮嶋 極)

度重なる延期を経て上演が実現した「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
度重なる延期を経て上演が実現した「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 2020東京オリンピック・パラリンピックの関連文化事業として新国立劇場と東京文化会館の共催という形で企画された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(以下、マイスターと表記)。昨年に続いて今夏の東京文化会館での公演も稽古(けいこ)中に関係者の新型コロナウイルス感染が判明し中止を余儀なくされた。さらに東京における「マイスター」のフルステージ上演は2005年に新国立劇場の新制作とバイエルン州立歌劇場来日公演が同時期に行われた時以来だけにワグネリアンならずとも多くのオペラファンが待ちわびたステージであった。

 今秋は新規感染者数が減少していた時期とはいえ、大規模な舞台作品の上演を実現するには相当な苦労があったことは想像に難くない。芸術監督で指揮も務めた大野和士をはじめとする出演者、スタッフ、すべての関係者に敬意を表したい。

 さて、ステージを振り返っていこう。最初は演出について。ヘルツォークによる今回のプロダクションは19年のザルツブルク・イースター音楽祭でお披露目され、ドレスデンのザクセン州立歌劇場でも上演されてきたもの。(指揮はいずれもクリスティアン・ティーレマン)。物語を18世紀のニュルンベルクの街から現代ヨーロッパの伝統的な歌劇場(舞台装置の劇場の構造部分はザクセン州立歌劇場のミニチュア版であった)における人間模様に読み替えた、いわゆる〝楽屋落ち〟のスタイル。回転舞台を使い客席から見たステージ、その裏側、楽屋、劇場事務室へと舞台転換が巧みに行われていくのは見事であった。ザックスは劇場の支配人か芸術監督、ポーグナーは劇場のオーナー、ヴァルターやベックメッサー、エーファらは出演者と見ることができる。恋人ヴァルターが保守的な規則をマスターしてくれることを願っていたはずのエーファが、最後に突如豹変(ひょうへん)してマイスターの肖像(権威や保守的な考え方の象徴)を破ってヴァルターの手を引いて憤然と出ていくというどんでん返しが待っていた。世界的にジェンダーについてさまざまな問題提起がなされている昨今、生身の女性を歌合戦の賞品にしてしまうという本来の設定をうまくひねった幕切れであった。

 ザルツブルクなどでこの舞台を実際に鑑賞した人によると感染防止対策のためにステージ上の人数が減らされ、主役級以外の出演者らによる〝小芝居〟もかなり整理されていたという。出演者の感染を防止するうえで仕方のない措置であるが、コロナ禍が収束した後にフルの形での再演が期待される。

第2幕より。先行する海外上演に比べ、全体的にコロナ感染対策を意識した配置がうかがえる 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
第2幕より。先行する海外上演に比べ、全体的にコロナ感染対策を意識した配置がうかがえる 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 次に歌手陣。終演後、最も盛大な喝采を集めていたのはベックメッサーを演じたアドリアン・エレートである。演技派で知られる彼は伸びのある声を駆使した表情豊かな歌唱でも、聴く者を強く引き付ける出来であった。主役のザックスはバイロイト音楽祭やドイツの主要劇場でワーグナー作品を数多く歌ってきたトーマス・ヨハネス・マイヤー。これまではオランダ人や「リング」のヴォータン、「ローエングリン」のテルラムントといったどちらかというと悪役キャラが多かったが、ザックスは思慮深い善人という設定。この役柄に新たな可能性を見出そうとのキャスティングであろうか、そうであったとしたら狙いは的中し、これまでとはひと味もふた味も違った陰のあるザックス像が描き出されていた。深みのある声で安定した歌唱を聴かせてくれたが、長丁場の第3幕終盤は全体的にテンポが遅かったこともあり少しスタミナ切れの様子であった。(多くの歌手がそうなる)

 シュテファン・フィンケ(ヴァルター)、ギド・イェンティンス(ポーグナー)、伊藤達人(ダーヴィット)、山下牧子(マグダレーネ)らは水準を十分に満たす歌唱と演技。林正子のエーファもマイヤーのザックス同様、当初はイメージが少し違うように映ったが、幕切れを見てなるほど、と納得させられた。

トーマス・ヨハネス・マイヤーら、高水準の歌手が集った 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
トーマス・ヨハネス・マイヤーら、高水準の歌手が集った 撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場

 大野の音楽は8Kの超高精細映像を見るような驚きの作りであった。響きの中に埋もれて気付くことのなかったモティーフの存在とその意味合い、微妙な和声の変化までもが手に取るように伝わってきたのは初めての体験である。東京都交響楽団は大野のそうした要求に的確に応え、人数を絞った編成にもかかわらず重厚な響きを紡ぎ出し見事な演奏を披露してくれた。

 精度が高い良質な演奏であったことを前提に一点だけ述べておきたい。大野のテンポ設定が全体にかなり遅めで、ひとつひとつの音符やフレーズの処理が丁寧なあまりに各場面で醸成される雰囲気のようなものが損なわれていたように感じた。終演後に取材したところでは毎年バイロイトで顔を合わせるような熱心のワグネリアンほど、筆者と同様の感想を持った人が多かった。第3幕だけを見てもこの日の正味上演時間は143分。ちなみに過去のバイロイトにおける上演を調べてみるとベーム(111分、1968年)、バレンボイム(121分、1999年)、ヴァイグレ(120分、2008年)、ジョルダン(121分、2017年)であり、これらと比較してみると大野のテンポがいかにゆっくりしたものであったかが分かる。海外のオペラ劇場での経験が豊富で作品にも精通している大野だけに確たる意図をもっての解釈であろう。ただ、筆者も含めてワーグナー作品を愛する人ほど少し違和感をもったことも確かである。そうした〝違和感〟も作品が戒める〝固定観念〟にとらわれているからなのかもしれないが…。

公演データ

【新国立劇場 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」新制作上演】

11月18日(木)16:00 21日(日)14:00 24日(水)14:00 28日(日)14:00

12月1日(水)14:00 オペラパレス

指揮:大野 和士

演出:イェンス=ダニエル・ヘルツォーク

美術:マティス・ナイトハルト

衣裳:シビル・ゲデケ

照明:ファビオ・アントーチ

振付:ラムセス・ジグル

演出補:ハイコ・ヘンチェル

舞台監督:髙橋 尚史

ハンス・ザックス:トーマス・ヨハネス・マイヤー

ファイト・ポーグナー:ギド・イェンティンス

クンツ・フォーゲルゲザング:村上 公太

コンラート・ナハティガル:与那城 敬

ジクストゥス・ベックメッサー:アドリアン・エレート

フリッツ・コートナー:青山 貴

バルタザール・ツォルン:秋谷 直之

ウルリヒ・アイスリンガー:鈴木 准

アウグスティン・モーザー:菅野 敦

ヘルマン・オルテル:大沼 徹

ハンス・シュヴァルツ:長谷川 顯

ハンス・フォルツ:妻屋 秀和

ヴァルター・フォン・シュトルツィング:シュテファン・フィンケ

ダーヴィット:伊藤 達人

エーファ:林 正子

マグダレーネ:山下 牧子

夜警:志村 文彦

合唱指揮:三澤 洋史

合唱:新国立劇場合唱団、二期会合唱団

管弦楽:東京都交響楽団

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ) 毎日新聞グループホールディングス取締役、番組・映像制作会社である毎日映画社の代表取締役社長を務める傍ら音楽ジャーナリストとして活動。「クラシックナビ」における取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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