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1879(明治12)年までに、全国で計153の国立銀行が誕生した。
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雨後の筍のように銀行が増えた背景には、設立条件が緩和された国立銀行条例改正(76年)に加え、明治政府がこの年断行した秩禄(ちつろく)処分があった。江戸時代に大名だった華族や武士出身の士族に与えられて財政の重い負担となっていた家禄(かろく)を全廃する代わりに金禄公債を支給した。家禄を期限付き公債に代えることで無期限の政府支出を避けるとともに、禄の数年分にあたる額面の公債を売買自由とすることで華士族がこれを元手に事業を起こすことを期待した。第一国立銀行頭取の渋沢栄一は、金禄公債を運用して国立銀行を設立したいと訪れる華士族らの相談に乗り、多くの国立銀行設立を支援した。
大都市には三井銀行などの私立銀行も設立された。第一国立銀行にとっては競い合う「商売敵」だが、栄一は近代的な銀行制度を日本に定着させることを優先し、商業に従事する人たちの地位向上も図ろうと、銀行業者が一堂に集まって親睦を図る団体の設立を呼びかけた。栄一が論語の語句から名付けた「択善(たくぜん)会」の事務所が77(明治10)年、第一国立銀行内に開設された。月1回の例会では営業上の打ち合わせのほか、海…
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