負担軽減うたい増えた騒音 SACO合意25年、米軍の「思惑」 沖縄
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25年前の1996年12月、日米両政府は沖縄県内の米軍施設11カ所を日本側に返還することで合意した。前年9月に米兵3人が少女を暴行する事件が起き、沖縄県民の怒りと米軍基地撤去を求める声が高まったことを受け、両国が「特別行動委員会」という組織を設置して決めたものだ。委員会の英語の名称から「SACO(サコ)合意」と呼ばれるが、四半世紀が過ぎ、目的とされた「沖縄の負担軽減」は図られたのか。
那覇市から車で2時間、沖縄本島北部にはうっそうとした照葉樹林の森が広がっている。「やんばる」と呼ばれるこの森を、米軍は沖縄が72年に日本へ復帰する前の57年から野戦訓練の場所として使用してきた。
96年12月2日に日米が合意したSACO最終報告は、北部訓練場(国頭=くにがみ=村、東=ひがし=村)約7800ヘクタールのうち3987ヘクタールを日本側に返還することを決定。20年後の2016年12月に返還は実現し、記念式典に出席した菅義偉官房長官(当時)はあいさつで「沖縄の本土復帰後、最大規模の返還だ。基地負担軽減に大きく資する」と誇ってみせた。
だが、米軍はただ土地を返すだけではなかった。SACO最終報告にはこんな条件が付いていた。…
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