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木内みどりさんへのインタビューを初めて記事にする際、「肩書は『俳優』にしますか、それとも『女優』にしますか」と尋ねると、「私は『売れない女優』だから、『女優』にして」との答えが返ってきた。この国で、どんな存在だったのか。6人から話を聞いた。【企画編集室・沢田石洋史】
来春、都内で出演作品を特集上映
木内さんと30年以上親交のあるプロデューサーがいる。テレビ番組や映画を製作するドキュメンタリージャパンの橋本佳子さんだ。プロデュースした映画作品をいくつかピックアップすると、「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90歳」(2012年、長谷川三郎監督)、「FAKE」(16年、森達也監督)、「いしぶみ」(16年、是枝裕和監督)、「沖縄スパイ戦死」(18年、三上智恵監督)――などを挙げることができる。現在、「芸術家 今井次郎」が各地で順次公開されている。
来年のゴールデンウイーク(4月30日~5月6日)には、18年に自ら設立した映画館「シネマハウス大塚」(東京都豊島区)で、木内さんが出演した映画や、演劇作品を編集した映像の特集上映を予定している。橋本さんはこう語った。
「みどりさんの功績として、アクティビストの面はかなり伝わっていますが、女優としての面を多くの人に再確認してもらえればと考え、企画しました」
木内さんが急逝したのは19年11月18日。出演した映画「夕陽のあと」が10日前に封切りされたばかりだった。この映画のプロデューサーは橋本さん。漁師一家のおばあさん役として木内さんを真っ先にキャスティングし、台本も木内さんの出演を念頭に書いてもらったという。
映画の舞台は鹿児島県の長島。ブリの養殖をはじめ漁業が盛んな島だ。木内さんは「日野ミエ」を演じるにあたり、撮影予定日よりも前に島を訪れ、実際に漁師の生活がどのようなものか、訪ね回ったのだという。衣装も用意されたものではなく、漁師の妻から借りたものを着た。「だって漁師の家なんだから、実際に着ているものがいいに決まっているじゃない」と話し、スタッフらを驚かせた。そして、服の中には、自ら用意した詰め物を入れてふっくらとさせ、「老い」を表現した。鬼のような形相を見せたり、子どもが打ち鳴らす盆踊りの太鼓に合わせて体を揺らせたり、目に焼き付けたいシーンが数多くある。
体を張って前線に立ち続け
橋本さんが知り合った1989年、木内さんは妊娠中だった。お互い、年の近い子どもがおり、公私にわたる付き合いが続いた。11年に東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きると、関係はより深まったという。原発の危険性について、十分な認識がなかったことに対する反省の思いが、2人には共通していた。橋本さんは福島県双葉町から避難した人々を取材したドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて 第1部・第2部」をプロデュースした。一方、木内さんは反原発集会の司会を引き受け、選挙では脱原発を掲げる候補を支援した。橋本さんは、在りし日の木内さんを懐かしむ。
「日本の女優さんがやらないことを彼女はやった。運動に参加すると、理不尽なことを言われることもあります。でも、使命感があるから、相当のストレスを抱えた時でも、頼まれると引き受けていた。マイクを前にしての熱量は高く、司会者としてスッと立つ姿はとても輝いていた。この国で体を張って、前線に立ち続けた唯一の女優ではないでしょうか。弾よけもないまま。3.11以降の歴史で彼女は、屹立(きつりつ)した存在です」
亡くなる前の約1週間のうち、木内さんは…
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