「水曜どうでしょう」のミスターが語る「若き日々」と「札幌の街」
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全国にコアなファンを持つ北海道の深夜バラエティー番組「水曜どうでしょう」に、俳優の大泉洋さん(48)とともに出演していた「ミスター」こと鈴井貴之さん(59)は、札幌市で芸能事務所の会長をしながら、俳優、映画監督、テレビ司会者などをこなす奇才だ。2022年は還暦の節目。演劇人を志し「失敗ばかりだった」という若き日々と、自身を育ててくれた札幌の街への思いを語ってもらった。【聞き手・今井美津子(北海道報道部)】
浪人生なのに毎日ススキノへ
――1972年に札幌冬季オリンピックが開催され、札幌が政令市に指定されてから、22年で50年になります。
◆当時は(北海道中央部の)空知地方に住んでいて、五輪はテレビで観戦しました。金・銀・銅メダルを取ったスキージャンプの「日の丸飛行隊」はすごいと思ったし、女子フィギュアのジャネット・リンさんもかわいいなと思っていました。札幌には時々行くくらいでしたが、五輪を機に地下鉄が開通し、どんどん都会になっていく印象を受けていました。
――高校卒業後の82年、大学浪人2年目に札幌に転居しました。
◆周りの友達が大学生だったので、浪人生のくせに大学生と遊んでいました。お金はないけど、誰かが「アルバイト代が入ったから」と持っている。連日ススキノに行っていました。
当時は東京に進学するつもりで、札幌は通過点だと思っていました。なのに札幌の大学にしか合格せず、大学近くに居を構えた時のイメージは「絶望感」です。思い描いていた方向とは全然違ったので、自分の人生はこれからどうなってしまうのかと…。
不毛だからこそチャンス
――札幌を拠点にしようと決意したのはいつですか。
◆アルバイトをしながら演劇をしていましたが、貧乏生活の中で仲間がどんどん東京に行きました。僕は結局、札幌を出ずじまい。28歳くらいの時、「北海道で何とかしてやる」と思い至り、ここに根ざして活動していく覚悟をしました。
――当時は「演劇不毛の地」と言われていたようですが。
◆不毛であるからこそチャンスがある。30歳を目前にして劇団員らのマネジメントをするための会社「クリエイティブオフィスキュー」を始めた時も「北海道でそんなことやっても無駄」という声が多かった。でも逆の発想で、ないからできるんじゃないの、と。競争相手がいないので、トップを取れば注目してもらえると思いました。
――住んでみての印象は?
◆「洋楽のアーティストが津軽海峡を越えてくれない」と、悔しく思っていました。仙台には来るのにですよ。演劇も、東京で注目されている演目は札幌に来ない。当時、会員を募って、東京の演目を札幌に呼んで公演する組織がありました。不自由は不自由なりに努力して、地方でも演劇を体感できるようにする動きもありましたね。
――サッカーがお好きだそうで。
◆大好きです! (21年9月に)J1のコンサドーレ札幌のオフィシャルサポーターに就任させてもらったのは、ここ数年で一番うれしかった(笑い)。雪国で施設などの条件が悪い中、96年にコンサがプロのスポーツチームとしていち早く来て、その後、プロ野球の日本ハムファイターズも来てくれました。毎年コンサの年間シートを買って、ホームゲームはほぼ行きます。過去5年は開幕戦がアウェーでも行きました。演劇もそうですが、次世代を担う子どもたちが直接、目標とする選手を見られるのは大きいです。
半年で終わる番組だと…
――コンサドーレ誕生と同じ年に、鈴井さんの名前が全国に広まるきっかけになった「水曜どうでしょう」が始まりました。
◆企画を立てつつ、自分でも出演しました。…
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