「幻の甲子園」に泣いた離島の球児たち 「今もあの決勝が夢に出る」
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

2020年夏、全国の高校球児たちが目指す甲子園での全国大会がコロナ禍で中止に追い込まれた。あれから1年半、あの時に涙をのんだ球児たちは何を思い、何を目指しているのか。離島で育った幼なじみのメンバーたちと地方の独自大会を戦って頂点に立ちながら、甲子園の土を踏めなかった元主将たちの今を追いかけた。【内橋寿明/社会部】
あの夏の光景が、また夢に出てきた。
2番・三塁手で出場したタピックスタジアム名護(沖縄県名護市)での決勝戦。見慣れた白地のユニホームに「YAEYAMA」の文字が浮かぶ。観客はいなくてもグラウンドは熱気に満ちていた。最後の相手打者の打球が弾んで一塁手のミットへ。送球を受けた投手がベースを踏んでゲームセット。「さあ、甲子園へ行くぞ!」。そう思った時、必ず目が覚める。
金沢学院大(金沢市)の野球部の寮の一室。目を覚ました内間敬太郎さん(18)は、高校3年生だった2020年に思いをはせる。あの夏、球児たちは甲子園をコロナ禍に奪われた。沖縄・石垣島にある八重山高校の主将だった内間さんも、その一人。甲子園への切符を手にできないと分かりつつ臨んだ県の独自大会で優勝したシーンはずっと、心の中にある。
◇
この年の3年生部員21人は内間さんを含め全員、島で生まれ育ち、小学生の頃から顔見知りだった。中学校の時には全国大会に出場した。「高校生になったら、一緒に甲子園へ行こう」と約束し、地元の八重山高校に集まった。島にある三つの高校で甲子園の土を踏んだことがあるのは、八重山商工だけ。島外のチームと練習試合をするだけで多額の遠征費が必要となる離島の高校には、簡単な道のりではないと分かっていた。でも、自信はあった。
ところが5月20日、戦後初めての夏の甲子園中止が正式に決まる。コロナ下で全体練習はできず、自主練習中に一報を聞いた。以前から「中止」は取り沙汰されていたが、内間さんは発表直前まで無料通信アプリ「LINE」で、「へこむにはまだ早いよ! 甲子園行くぞ」とメッセージを部員に送り続けてきた。しかし、希望は絶たれた。
校舎で顔を合わせた部員たちの表情は暗…
この記事は有料記事です。
残り1542文字(全文2429文字)