海部俊樹元首相が死去 91歳 湾岸戦争で多国籍軍に財政支援

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海部俊樹元首相

 1989年から約2年3カ月にわたって首相を務めた自民党の海部俊樹(かいふ・としき)さんが9日、老衰のため死去した。91歳だった。葬儀は13日に近親者で営んだ。

 31年1月、愛知県生まれ。早稲田大卒。河野金昇衆院議員の秘書を務め、同議員の死去後、1期務めた妻の孝子氏から地盤を引き継ぎ、60年11月衆院選で旧愛知3区から自民党公認で初当選。当時29歳で全国最年少だった。その後、連続16回当選を果たした。

 自民党三木派に所属し、三木武夫元首相の秘蔵っ子と言われた。早大雄弁会で鍛えた弁舌で頭角を現し、74年に三木内閣で官房副長官に就任。76年には福田内閣の文相で初入閣、85年には中曽根内閣でも文相として2度目の入閣を果たすなど文教族として活躍した。

第二次海部俊樹改造内閣が発足。初閣議を終え、記念撮影に臨む海部首相と閣僚たち=東京都千代田区の首相官邸で1990年(平成2年)12月29日撮影 拡大
第二次海部俊樹改造内閣が発足。初閣議を終え、記念撮影に臨む海部首相と閣僚たち=東京都千代田区の首相官邸で1990年(平成2年)12月29日撮影

 89年にリクルート事件などで総辞職した竹下内閣を継いだ宇野内閣も参院選惨敗で退陣。それを受け、同年8月に首相に就任した。水玉模様のネクタイがトレードマークで、クリーンなイメージと「初の昭和生まれの首相」という若さで人気を集めたが、実権は小沢一郎幹事長(当時)ら竹下派が掌握した。

 90年、国連の平和維持活動に自衛隊を参加させる国連平和協力法案(PKO法案)は世論の強い反対を受けて廃案になった。91年の湾岸戦争で多国籍軍などに総額130億ドルにのぼる財政支援を実施。戦争終結後、自衛隊初の海外派遣として、機雷除去のため海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に送った。

 91年9月には命運をかけた選挙制度改正を含む政治改革関連3法案の廃案が決まり、「重大な決意を持っている」と衆院選に打って出る構えを見せたが、党内の反対で解散ができず、発言の責任を取る形で退陣した。

 その後は94年6月、自民、社会、さきがけ3党が首相指名選挙で村山富市社会党委員長(当時)への投票を決めると、反発して自民党を離党。新生、公明両党などに推されたが指名選挙で村山氏に敗れた。同年12月の新進党発足にあたり、初代党首に就任した。新進党分裂後は自由党、保守党、保守新党を経て2003年11月、自民党に合流。ともに復党した二階俊博元幹事長らと二階派を結成した。09年衆院選で落選し、政界引退を表明した。

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