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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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母の死に顔、目を向けられず 「おくりびと」が抱く震災の後悔と願い

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2歳になった初孫の心旺ちゃん(右)と東遊園地を訪れ、竹灯籠の灯を見つめる久保木美穂さん=神戸市中央区で2022年1月17日午後5時31分、山田尚弘撮影
2歳になった初孫の心旺ちゃん(右)と東遊園地を訪れ、竹灯籠の灯を見つめる久保木美穂さん=神戸市中央区で2022年1月17日午後5時31分、山田尚弘撮影

 母を失ったとき、ちゃんと顔を見てあげられなかった。突然の死を受け入れられなかったからだ。そんな自分が、遺体を清めて納棺する仕事をするとは――。「誰もができる仕事じゃない。縁が回ってきたんかな」。あの経験があるからこそ、亡くなった人たちをきれいに送ってあげたい。

 久保木美穂さん(54)は27年前、神戸市灘区の実家に里帰りし、長女彩日香(あすか)さん(27)を産んだ。母の茶本潔子(きよこ)さん(当時55歳)には初孫。母は、懸命に世話をしてくれた。出産から1カ月が過ぎた1995年1月16日、18キロ離れた兵庫県三田市の自宅に娘と戻った。神戸の街を最大震度7の揺れが襲ったのは、その翌日だった。

 「お母さん、あかんかった」。その日の夕方、ようやくつながった電話で父(2020年に81歳で死去)がしゃべった言葉の意味が理解できなかった。全壊した実家の1階で寝ていた母は、倒れたタンスの下敷きになったらしい。その後の記憶は今も曖昧だ。直後にスーパーに行き、「なんで私は買い物なんかしているの」と思ったことだけは覚えている。

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