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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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「亡くなった人の分まで生きる」犠牲者に思いはせ 阪神大震災27年

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「追悼之碑」の前で伯母を思って手を合わせる平井桜子さん(29)。「自分の子どものように可愛がってくれたと聞かされていて、生きていたらと今でも思う」=兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園で2022年1月17日午前5時半、滝川大貴撮影
「追悼之碑」の前で伯母を思って手を合わせる平井桜子さん(29)。「自分の子どものように可愛がってくれたと聞かされていて、生きていたらと今でも思う」=兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園で2022年1月17日午前5時半、滝川大貴撮影

 発生から27年を迎えた阪神大震災。被害が大きかった神戸市をはじめ各地で追悼行事があり、人々が犠牲者に思いをはせた。

 神戸市中央区の東遊園地では、市民団体などが主催する「1・17のつどい」があった。地震発生時刻の午前5時46分になると、時報に合わせて遺族らが黙とうをささげていた。

 会場では約5000本の灯籠(とうろう)で「忘 1・17」の文字を浮かび上がらせた。震災の記憶を忘れずに継承する決意や、つらい思い出を忘れたいという気持ちも込められている。新型コロナウイルス対策で来場者を分散させようと、灯籠は前日夕から点灯された。この日の来場者数は約4000人(午前7時現在)。同様に分散来場が呼び掛けられた前年(約2500人)の1・6倍に増えた。

 訪れた美容師の天畠(あまはた)ヒサコさん(84)=神戸市灘区=は、次女の湯口典子さん(当時26歳)夫婦と孫の怜(さとる)ちゃん(同6歳)を震災で亡くした。典子さんは妊娠中で、怜ちゃんは小学校への入学を目前に控えていたという。「生きていたら、とやっぱり考えてしまう。亡くなった人の分まで元気に生きたい」と話した。上野政志さん(74)=兵庫県佐用町=は長女の志乃さん(当時20歳)の名前が刻まれた銘板に…

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【阪神大震災】

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