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宮田スケートクラブ 「遅咲きの大輪」咲かせた 信州の名伯楽

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ジュニア選手にスケート技術を指導する新谷純夫代表(右端)=長野県岡谷市のやまびこ国際スケートセンターで2021年12月21日午後8時48分、高橋秀明撮影 拡大
ジュニア選手にスケート技術を指導する新谷純夫代表(右端)=長野県岡谷市のやまびこ国際スケートセンターで2021年12月21日午後8時48分、高橋秀明撮影

 2月4日に開幕する北京冬季オリンピックのスピードスケート女子500メートルで連覇が懸かる小平奈緒(35)=相沢病院=が、かつて所属したのが宮田スケートクラブ(長野県宮田村)だ。小平が遅咲きの花を咲かせた裏には、名伯楽の揺るぎない育成理念があった。

 昨年12月下旬、長野県岡谷市のやまびこ国際スケートセンター。冬期の練習拠点であるこのリンクは標高が1000メートル近く、山を登る途中から諏訪湖が一望できる。クラブの新谷純夫(しんやすみお)代表(71)は「小平が育ったのも茅野市の標高1000メートルほどの所。下で育った子供よりも心肺機能は高かったと思う」と振り返る。

ジュニア時代の小平奈緒を指導した宮田スケートクラブの新谷純夫代表=長野県岡谷市のやまびこ国際スケートセンターで2021年12月21日午後6時7分、高橋秀明撮影 拡大
ジュニア時代の小平奈緒を指導した宮田スケートクラブの新谷純夫代表=長野県岡谷市のやまびこ国際スケートセンターで2021年12月21日午後6時7分、高橋秀明撮影

 小平は、後にそろって2010年バンクーバー五輪に出場することになる新谷代表の長女志保美さんらとともに、中学時代にクラブで指導を受け始めた。中2の時には全日本ジュニア選手権を制覇したが、新谷代表は「持久力とパワーは並外れていたが、技術的には下手だった。この子は時間をかけたほうがいいと思った」と述懐する。

 その後、小平はスケート部がない伊那西高に進学。同好会で活動しながら、新谷代表の自宅に下宿し、クラブで練習を重ねた。相撲の四股や陸上のクロスカントリーなど他競技のトレーニングメニューも取り入れながら、焦らずじっくりと土台を固めていった。

北京五輪代表選考会女子1000メートルを制して観客に手を振る小平奈緒=長野市のエムウェーブで2021年12月30日、手塚耕一郎撮影 拡大
北京五輪代表選考会女子1000メートルを制して観客に手を振る小平奈緒=長野市のエムウェーブで2021年12月30日、手塚耕一郎撮影

 新谷代表は「ジュニアの指導者にとって大切なのは、持っているものを殺さないようにして次のステージに送り出すこと」という。早急に結果を求められて、自分の長所を見失う選手もいる。選手の持ち味を最大限引き出すために、個々の成長段階に合わせた指導を心掛けている。

 自立を促すのも新谷流だ。「選手は指導者の操り人形ではない。その子が持っているものをある程度引き出してあげれば、自分の足で歩いて行ける」。将来、行き詰まった時に自分で打開策を見つけられるように勧めているのが日記だ。「小平もペンの色を変えたり付箋をつけたりしながら、練習内容と私が言ったことを記録していた。毎日欠かさずつけていたことが印象に残っている」。高校の途中からは独り立ちしてもらうため、近くのアパートで1人暮らしもさせた。

 高校卒業後は実業団からの誘いもあった。新谷代表は「実業団ではすぐに結果が求められる。この子が世界で勝負できる選手になるには、さらに時間が必要だと考えた」。慎重に進路を話し合った結果、教員志望だったこともあり、小平は信州大に進学。理論派で知られる結城匡啓コーチの指導を受けた。さらにオランダでの武者修行などを通じて一段ずつ階段を上り、31歳で迎えた18年平昌五輪で大輪の花を咲かせた。

 クラブには現在9人が所属している。「今後もぶれずに、子供たちの良いところを引き出して、全国の舞台で輝かせてあげたい。そして自分自身に自信が持てる人間に育てたい」と新谷代表。将来的には3人目のオリンピアン輩出を目指し、指導を続けている。【高橋秀明】

【北京オリンピック2022】

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