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合格率17%の宅建にも合格 小須田潤太の「リアル二刀流」人生

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2021年12月のワールドカップ・スノーボードクロスで3位に入り、表彰台に立った小須田潤太(右)=日本障害者スキー連盟提供
2021年12月のワールドカップ・スノーボードクロスで3位に入り、表彰台に立った小須田潤太(右)=日本障害者スキー連盟提供

 本当に爽やかな笑顔だった。「やっぱ、『楽しいから』ですかね」。陸上男子走り幅跳び(義足)で東京パラリンピックに出場し、スノーボード男子(大腿<だいたい>障害)でも北京冬季パラリンピック代表に内定した小須田潤太(31)=オープンハウス=はわずか半年間で2回の国際大会に臨む理由を問われると、そう即答した。右脚を切断した事故から3月で10年。今でこそ前向き思考の彼はかつて、「無気力」に分類される青年だった。

障害で芽生えた挑戦心

 埼玉県所沢市出身。20歳を過ぎるまで、何かに強く打ち込んだことはない。小学校から取り組んだサッカーは長続きせず、大学も2年ほどで中退した。その後は大手引っ越し会社の契約社員になったが、21歳だった2012年3月、トラックを運転中に単独事故を起こし、右脚を切断した。

 「脚がある時は何となく生活できちゃっていた。だから、何かに挑戦しようという気持ちが起きなかった」。義足を着用するようになった小須田が巡り合ったのが、理学療法士の勧めで参加したランニング教室だった。ドイツの福祉機器メーカー・オットーボックが15年8月に日本で初めて開いた教室の講師には、義足クラスの走り幅跳びの第一人者、山本篤(39)=新日本住設=がいた。

 義足で走るだけでなく、バスケットボールやサッカーにも挑戦。「歩けるだけで、こんなにうれしいことなんだ」。そして何よりも「走るイコール楽しい」ということを学んだ。「子ども時代はどんどんできることが増える楽しみがありましたよね? だが、年を重ねるにつれ、そういう体験は減る。自分は大人になってその喜びを改めて感じることができた」。山本を師匠と仰ぎ、パラリンピックを目指す道筋が立った瞬間だった。

 走り幅跳びだけでなく、…

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