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万葉時代の人々は、周囲を取り巻いていた「野」に親しみを感じていた。吉野でも同じだったはずだ。
万葉歌には若い夫婦を「若草の妻」「夫」と呼んだ歌が15首ほどある。柔らかく、緑鮮やかな「若草」は、万葉人が抱いていた野への思いを象徴する。
755年2月、兵部省の少輔(しょう)(次官)だった大伴家持は、筑紫に派遣されるため難波津に集まった諸国の防人(さきもり)たちに提出させた歌を通して家族との悲痛な別れの様子を知り、自身もその心情を察した歌を詠んだ。旅立つ防人に「若草の妻取り付き」(巻二十 4398)、「若草の妻も子どもも」「袖泣き濡(ぬ)らし」「引き留め 慕いし」(同 4408)様子は、歌人の想像の産物ではなかった。
巻十三には、現在の広島県福山市の瀬戸内海航路の難所で、浜に横たわる水死者に「稚草(わかくさ)の 妻もあるらむ」(3339)と呼びかけた歌がある。
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