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名作童謡を次々と生み出した詩人・野口雨情(うじょう)(1882~1945)は、今年で生誕140年を迎える。北茨城市磯原(いそはら)に生まれ、早稲田大学の前身・東京専門学校に入学するものの、諸事情により文学への志を中途で挫(くじ)かれた雨情は、30代まで樺太や北海道、東京、水戸などを遍歴して雌伏の時を過ごす。転機は、1918(大正7)年発表の民謡「船頭小唄(せんどうこうた)」の大流行だった。「どうせ二人は/この世では/花の咲かない/枯れすすき」というやや退廃的な歌詞に、中山晋平作曲の悲哀に満ちた旋律が人々を魅了した。以降、児童雑誌「金の船」「金の星」に童謡「十五夜お月」「七つの子」「青い目の人形」「證城寺(しょうじょうじ)の狸囃子」、「コドモノクニ」に「あの町この町」「兎のダンス」「雨降お月さん」などを発表し、北原白秋や西條八十(やそ…
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