誰よりも高く、そして速く―。2021年12月26日、フィギュアスケート男子の羽生結弦(27)=ANA=が初めて実戦でクワッドアクセル(4A=4回転半ジャンプ)に挑んだ。両足での着氷となったものの、人類初の成功に向けて一歩を刻んだ。4年前にオリンピックを2連覇した直後、目標に掲げた「4A」。巨大な山の頂を目指す旅路に迫った。
18年平昌五輪では「達成感」にあふれていた。男子で66年ぶりの五輪連覇を果たしたフリーから一夜明け、羽生は「幸せ」と繰り返した。それでも向上心は尽きなかった。絶対王者は新たな、そして自らの競技人生を懸けるモチベーションを既に見いだしていた。
もうちょっとだけ、自分の人生をスケートに懸けたい。
やっぱりアクセルジャンプというものに懸けてきた思い、時間、練習、質も量も全てがどのジャンプよりも多い。
4Aを目指したいなって思ってます。スケートをやめたいとかっていうことは全くないです。モチベーションは全て4Aだけ。
もう取るもの取ったし、やるべきこともやった。
あとは小さかった頃に描いていた目標をかなえてあげる。それだけかなと思っています
誰も見たことのない景色を目指す旅が、本格的に始まった。
このシーズンで羽生がプログラムに取り入れたのは、憧れを抱いてきた2人のスケーターの曲だった。スケートに没頭する「起源」となった2曲を携えた羽生には、新たな感情が芽生えていた。
今まで、自分のスケートをしなくちゃいけない、期待に応えなくてはいけない、結果をとらなくてはいけないというような、プレッシャーがすごくあったが、(それが)外れて。
これからはもう本当に自分のために滑ってもいいのかなと
「自分のために」という思いの先に、4Aへの挑戦があった。しかし美しいトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳ぶ羽生でも、習得は容易ではなかった。さらに体への負担は拭えなかった。18年11月、平昌五輪シーズンにも痛めた右足首を再び負傷。リハビリに時間を費やすことになった。
4大陸選手権制覇で「スーパースラム」
「4A込みのパーフェクトパッケージ」。競技人生の究極の目標へ、羽生は公の場で初めて4Aにトライした。19年12月、イタリア・トリノで開催されたグランプリ(GP)ファイナル。ショートプログラム(SP)2位からの巻き返しが期待されたフリー前日の公式練習で、羽生は突然滑るスピードを上げ、勢いよく跳んだ。何度もジャンプを繰り返しては転倒し、氷に体を打ち付けられた衝撃音が会場に響いた。
(SP首位のライバル、ネーサン・チェンと)13点(12・95点)差というのは、やっぱり(逆転は)難しいだろうなと。
だからこそ、ここで何か爪痕を残したいという気持ちがあった。結果として跳べなかったが、あの練習はかなり覚悟を決めて(やった)。ある意味、ここがまた、自分にとってのきっかけの地になったなと思う。ここでアクセルを完成させたいという気持ちでした
20年2月、4大陸選手権を制し、ジュニア時代を含めて主要国際大会のタイトルを全て獲得する「スーパースラム」を達成した。直後の世界選手権の構成に4Aを組み込む意向を示していたが、感染症という見えざる敵によって舞台を奪われた。
シーズンラストの国別対抗戦
4回転半を公式練習で披露
新型コロナウイルスの感染拡大によりGPシリーズを欠場した羽生は、シーズン初戦となった20年12月の全日本選手権で5年ぶり5回目の優勝。健在ぶりを印象づけた。翌春の世界選手権に出場した際には、4Aの「現在地」を率直に語った。
4Aも近づいてきた感じがします。そのおかげで、いろいろなものが安定したり、自分の自信になったりもしている。
自分としては、4Aをこの試合に入れたかったのが本当の気持ち。かなりギリギリまで粘って練習していた。(あと)8分の1、回れば立てますね。間違いなく。ランディング(着氷)できます
21年4月に大阪であった世界国別対抗戦では、公式練習で再び4Aにチャレンジした。約30分間で10本以上も試みた。ほぼ直線的な軌道で跳んだトリノでのGPファイナル当時と比べ、明らかにプログラムを意識したものへと「進化」していた。
ケガでGP欠場。今季初戦となった全日本選手権で4回転半挑戦
羽生は練習中に転倒して右足首の靱帯(じんたい)を痛め、予定していたGPシリーズ2戦を欠場した。前季に続いて全日本選手権(21年12月23~26日)がシーズン初戦となったが、最初の公式練習で周囲を驚かせた。
4Aを試み、3度着氷。それも氷上に滑らかなカーブを描きつつ、ゆったりとしたスピードから直前で前を向く、実戦さながらの難度の高い踏み切りだった。2回は両足で、最後はバランスを崩しながらも、ほぼ片足で氷に立った。
結局、軸をとれないと回転も速くならない。がむしゃらに、ぶん回して跳べるなら、たぶん昨年(20年)のうちに降りていると思う。意図としてはまずちゃんと軸を作る。軸がちゃんと早く作れれば、回転も速く回れるという意味で、前よりは(入りのスピードを)落としています
言葉に手応えを感じさせた。SP首位で迎えた26日のフリー。予定した演技構成表に初めて「4A」の文字が印字された。演技の冒頭で試みたが、両足着氷となった。回転不足による「ダウングレード」の判定を受け、基礎点は1回転少ないトリプルアクセルと同じ扱いだった。それでも転倒はせず、氷に手をつくこともなかった。演技を終えた羽生は悔しさをにじませつつ、一定の評価を自らに与えた。同時に、抱き続けた葛藤も明かした。
やっと立てるようになったのが(欠場した)NHK杯前。立てたなと思ったら、次の次の日あたりに(右足首を)捻挫。その後、ストレスとかいろいろたまって食道炎になって熱が出てみたいなのがあって、1カ月間、何もできなかった。その時点で、やめちゃおうかなと思ったんですよ。ここまで来られたし、形にはなったし、こけなくなったしなと思って。正直、自分の中で、これでいいんじゃないかなって。自分の中ですごく限界を感じたんです。すごい悩んで。苦しんで、苦しんで……。でも、もうちょっとだけ、せっかくここまで来たんだったら、やっぱ(クリーンに)降りたいって言っている自分がいるんで。まあ、むちゃくちゃみなさんに迷惑かけるかもしれないですけど、もうちょっとだけ頑張ります
どこかすっきりとしていた。そして北京五輪代表に決まった記者会見の場で、はっきりと宣言した。
出るからには、勝ちをしっかりとつかみとってこられるように。また、今回のようなアクセルではなくて、ちゃんと武器として4Aを携えていけるように精いっぱい頑張っていきます
これまで口にしてこなかった「五輪3連覇」を目指すことを初めて明言した。
4Aという頂は、手が届きそうなところまで来ている。
僕だけのジャンプじゃない。跳ぶのは僕だし、言い出したのも僕なんですけど、みなさんが僕にしかできないと言ってくださるのであれば、それを全うするのが僕の使命なのかなって
五輪では2月8日のSPを経て、10日のフリーで、冒頭に4Aを予定するプログラム「天と地と」を演じる。男子ではギリス・グラフストレーム(スウェーデン)以来94年ぶりとなる史上2人目の3連覇の偉業、そして平昌後から懸命に追い続けてきた「夢」に向かって、羽生はきっと軽やかに舞う。
羽生が習得を目指すクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)は、世界で誰も成功した選手がいない。他の5種類の4回転ジャンプとは異なり前向きに踏み切ることで、難易度が一気に上がるためだ。
後ろ向きと前向きの踏み切りによる難易度の差は、どんな点に最も表れるのだろうか。日本選手で初めて4回転ジャンプに成功し、オリンピックは1998年長野(15位)、2002年ソルトレークシティー(4位)の2大会に出場したプロスケーター、本田武史さん(40)は、こう解説する。
「他の4回転は後ろ向きからきて、回転を始めながら跳び上がる。でも4回転半は前向きから、本当に跳んでから4回と半分を回らないといけない。そこに難しさがある」
本田さんによると、「空中で回転速度を上げることはできない」ため、踏み切りが他のジャンプ以上に重要になる。「(アクセルは)踏み切る際に右足を振り上げるが、振り上げたところから回転に持っていくまでのタイミングがすごく大切」と強調する。
昨年12月の全日本選手権の男子フリーで挑戦した羽生の4回転半(回転不足により1回転少ないダウングレードの判定)については、「半回転から1回転までがちょっと遅く感じた。この時点で『もうひと伸び』ほしいところ。ちょっと跳びにいった分だけ、体が左に流れてしまった印象」と指摘した。
回り切るにはできるだけ長い滞空時間が必要となり、そのためにはジャンプに高さと幅の両立が求められる。運動生理学に詳しい桐蔭横浜大の桜井智野風(とものぶ)教授は、4回転半の難しさについて「例えて言うならば、走り幅跳びをしつつ(高跳びの)背面跳びを同時にやろうとしているようなもの。本当に複雑な動きだと思う」と評する。
高さ、幅、そして回転速度という三次元で極限の動きがクワッドアクセルには求められる。手探りの状態で、未踏の地を歩んできた羽生は言う。
「誰も跳んだことがないんですよ。誰もできる気がしないって言っているんですよ。それをできるようにするまでの過程って、ひたすら暗闇を歩いているだけなんですよ。だから、毎回頭打って、脳しんとうで倒れて死んじゃうんじゃないかって思いながら、練習はしてました」
羽生が94年ぶりの五輪3連覇以上にこだわってきた究極のジャンプ。挑戦の行方を、世界が固唾(かたず)をのんで見守っている。
94年ぶりの五輪3連覇を目指す羽生の前に立ちはだかるのが、ネーサン・チェン(22)=米国=だ。五輪王者の羽生と世界選手権3連覇中のチェンの直接対決に、海外メディアも大きな関心を寄せている。
ハイレベルな戦いを続ける羽生結弦(右)とネーサン・チェン=イタリア・トリノで2019年12月5日、貝塚太一撮影
直近の対戦は2021年3月、スウェーデンの首都ストックホルムでの世界選手権。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大会は選手が外部との接触を避ける厳重なバブル方式を採用し、無観客で開催された。
大会はチェンが優勝したが、3位だった羽生にとって何より大切だったのは「無事に帰ること」だった。ぜんそくの持病があり、感染のリスクを避けることを最優先にしてきた。試合を終えてチェンとの距離感を問われると、ライバルをたたえつつ冷静に言葉を選びながら語った。
「もちろん、チェン選手は素晴らしいと思う。あの5クワッド(4回転ジャンプ5本の構成)、高難易度のものをあのクオリティーで全て決めてプログラムを完成させるって並大抵のことではない。それはやっぱり彼の努力のたまものだと思う。ただ、今回自分が一番感じていたのはやっぱり感染しないこと。そこが第一目標だったからこそ、あんまり対ネーサン選手みたいな(ものではなく)、対コロナウイルスみたいなところが今回あったので、あんまり気にしてません」
かつて羽生はチェンの存在がモチベーションになっていると語ったことがある。イタリア・トリノであった19年12月のグランプリ(GP)ファイナルでのこと。チェンが世界最高得点で優勝し、羽生は平昌オリンピック後に改正された現行ルールで、日本選手初の4回転ジャンプ5本に跳んだが、及ばず2位だった。記者会見で、羽生は英語で気持ちを伝えた。
GPファイナルの表彰式で3連覇を果たしたネーサン・チェンと抱き合う羽生結弦=イタリア・トリノで2019年12月7日、貝塚太一撮影
「ネーサン選手と一緒に滑って、競うのが大好きなんです。もし、僕がたった一人で合計300点を超える演技をしたとしても、滑ることに孤独を感じて意欲が下がってしまう。ここに僕のモチベーションがあると思っている。競技をしているなと感じています」
GPファイナル表彰式で記念撮影に応じる(左から)羽生結弦、ネーサン・チェン、ケビン・エイモズ=イタリア・トリノで2019年12月7日、貝塚太一撮影
一方のチェンは、羽生について「何年も前から尊敬し、憧れている。今でも僕にとってはスケートの神様みたいな存在」と語ってきた。羽生がクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)を試みた昨年12月の全日本選手権もチェック済みだ。男子シングルで史上3人目となる6連覇を果たした今年1月の全米選手権後には、羽生の4回転半ジャンプへの挑戦をたたえると同時に、自身の成長にとっていかに羽生の存在が大きかったかを語っている。
北京オリンピック本番のリンクでマスクをつけて練習に臨むネーサン・チェン=北京・首都体育館で2022年2月3日、手塚耕一郎撮影
「ユヅ(羽生)は常にこのスポーツを前進させている。それも彼にしかできないやり方で。4回転半ジャンプは彼の次なるステップに過ぎない。完成したアクセルを見ることが楽しみ。ユヅは競い合うずっと前から、間違いなく僕の背中をたくさん押してくれた」
ライバルであると同時に、互いの実力を認め、存在の大きさに感謝する2人。北京での競演が氷上を熱くする。
羽生結弦(左)とネーサン・チェンの熱い戦いに注目が集まる=イタリア・トリノで2019年12月5日、貝塚太一撮影
仙台市出身の羽生は高校1年だった2011年3月11日、東日本大震災で被災した。拠点としていた「アイスリンク仙台」で練習中、スケート靴を履いたまま、外へ逃げた。自宅が被害を受けたため、避難所での生活も経験した。一時は練習拠点を失い、4歳から始めたスケートを「やめてしまおう」とまで思い詰めた。
全日本選手権のエキシビション「メダリスト・オン・アイス」で「春よ、来い」を舞った羽生結弦=長野市ビッグハットで2020年12月28日(代表撮影)
傷ついた羽生の心を鼓舞したのは、オフシーズンに行われるアイスショーだった。「スケートで元気な姿を見せることで、被災地の皆さんを励ましたい」。全国各地で約60回のアイスショーに出演しながら氷上の感覚を維持し、練習時間も確保して競技のレベルを保ち続けた。
東日本大震災の被災地を支援するチャリティー演技会で観客の声援に応える(右から)浅田真央、羽生結弦、高橋大輔=愛知県豊橋市で2011年5月7日、兵藤公治撮影
厳しい日々を経験した羽生の目には、新型コロナウイルス感染拡大の影響で生活が一変した現在と、震災当時の社会が重なって見えた。昨季の最終戦となった21年4月の世界国別対抗戦後、率直な思いを口にした。
世界国別対抗戦のエキシビションで拍手に応える羽生結弦(中央手前)。羽生は、東日本大震災復興ソング「花は咲く」の音楽に合わせて情感たっぷりに銀盤を滑った=丸善インテックアリーナ大阪で2021年4月18日(代表撮影)
「それ(新型コロナ)と付き合っていくには、やっぱり、できればゼロになることが一番だとは思うんですけど。それでも進んでいかなければいけないですし、立ち向かっていかなければいけない。ある意味、僕の4A(クワッドアクセル=4回転半ジャンプ)じゃないですけど、挑戦しながら最大の対策を練っていく必要があるんだなということを感じていて。震災10年を迎えて、自分自身コメントを考える時に、どれほど苦しいのか、どんな苦しさがあるのか。それを本当に思い出してほしいと思っている人がどれほどいるのか。思い出したくない人もいるだろう。いろいろ考えた。それって今のコロナの状況と変わらないんじゃないかな、と僕は思った」
「メダリスト・オン・アイス」でトリを飾った羽生結弦。昨季SPで使用した「レット・ミー・エンターテイン・ユー」で会場を沸かせた=さいたまスーパーアリーナで2021年12月27日、宮間俊樹撮影
昨季の羽生は、世の中を明るくしたいという思いを込め、ショートプログラム(SP)でロック調の「レット・ミー・エンターテイン・ユー」を採用。今季の全日本選手権後のエキシビションでも「こういう世の中だからこそ、楽しんでほしい」と同じ曲で華麗に舞って、会場を沸かせた。滑る意味を探し続け、メッセージを伝える姿勢は、変わらない。