4年前とは違う。立場も、自覚も、目指す場所も。フィギュアスケート男子の宇野昌磨(24)=トヨタ自動車=からはオリンピックに懸ける強い決意が伝わってくる。無欲で臨み、20歳にして銀メダリストになった2018年平昌五輪から、どん底も経験した4年間。芽生えた「自我」を力に変え、世界の頂、ただ一点を目指す。
NHK杯で3年ぶり2回目の優勝を果たした宇野昌磨。メダルを胸に、日の丸を背に記念撮影=東京・国立代々木競技場で2021年11月13日、手塚耕一郎撮影
再び世界のトップで競い合う存在に戻ってこられた
2021年11月13日、東京・国立代々木競技場。グランプリ(GP)シリーズ第4戦のNHK杯で優勝した宇野が、久しぶりに手応えを口にした。合計290・15点をマークし、19年2月の4大陸選手権以来となる自己ベストを更新。自らの演技に対して辛口の評価が続いていたが、五輪シーズンに自信を取り戻した実感がこもっていた。
NHK杯でSP演技を終え、笑みを浮かべる宇野昌磨。首位発進した=東京・国立代々木競技場で2021年11月12日、手塚耕一郎撮影
今季、宇野は己の考えを貫き通してきた。それはフリーで4回転ジャンプを5本も組み込むことだ。転んでも、空中で回転がほどけても、なぜ高難度の構成に挑み続けるのか。NHK杯後、宇野は率直に理由を明かした。そこには2006年トリノ五輪男子銀メダリスト、ステファン・ランビエル・コーチとの「約束」があった。
NHK杯で、ステファン・ランビエルコーチ(右)に合図してSP演技に向かう宇野昌磨=東京・国立代々木競技場で2021年11月12日、手塚耕一郎撮影
「(ランビエル・コーチから)『君が世界一になるには何が必要だと思う』と聞かれて、僕は、ジャンプと言いました。最近の傾向や点数の出方を見ると、やはりジャンプを跳ばないと。2位、3位狙いはできたとしても(世界選手権3連覇中の)ネーサン・チェン選手(米国)がいる限り、1位は無理だと思った。たとえその結果4位、5位になっても、1位を目指すためにはリスクを背負って試合に挑まなければいけない」
平昌五輪のメダルセレモニーで笑顔を見せる金メダルの羽生結弦(左)と銀メダルの宇野昌磨=韓国で2018年2月17日、手塚耕一郎撮影
宇野は五輪、世界選手権、GPファイナル、4大陸選手権という主要国際大会で、平昌五輪前後の3シーズンに6大会連続で2位となった。「シルバーコレクター」と呼ばれたこともあった。この言葉に否定的な感情はないものの、「シルバーの壁」を突き破りたい衝動にかられていた。
シルバーコレクターと言われた時、別に悪い気はしない。
2位という順位がいかに難しいかは自分でも認知していた。
ただ、順位じゃなくて自分の立ち位置が、1位を争い続ける選手になったことはなくて。
世界選手権やファイナルで、どうしても、『良くて2位』なんですよね。
僕の中でそこにいる自分に今まで満足していたところが、やはりあったかと思う。そこを一度でいいから、破ってちゃんとトップで争う選手になりたい
宇野の表情は今、以前にも増して引き締まっているように見える。本人の言う「ダイエット効果」だけではなく、世界トップを争う覚悟が表れている面も大きいだろう。その覚悟を決めるまでの道のりは険しかった。
20歳で出場した平昌五輪で銀メダルを獲得した宇野昌磨。フリーは最終滑走だった=韓国・江陵アイスアリーナで2018年2月17日、手塚耕一郎撮影
自身初の五輪となった平昌五輪は、自然体で臨んだ。2連覇が懸かっていた羽生結弦(ANA)に注目が集まる中、「(自分は)陰に隠れて、視線を感じないのですごく楽」とのびのびと力を出し切った。銀メダルを獲得した翌日の記者会見で課題に触れた際は、「五輪ではなく、一つの試合として必要な課題」と答え、五輪に対して特別な思い入れがあったわけではなかった。
平昌五輪フリー後のセレモニーで笑顔を見せる金メダルの羽生結弦(右)と、銀メダルの宇野昌磨=韓国・江陵アイスアリーナで2018年2月17日、手塚耕一郎撮影
ただし「銀メダリスト」という肩書は、知らず知らずのうちに宇野に重くのしかかっていった。19年3月の世界選手権前には「結果を求めて試合に挑みたい」と発言するなど、成績を意識した言葉も増えていった。
自分らしくあればいいって思いながらも、アスリートはもっと強くならないといけないと思っている時もあって。五輪で思っている以上の結果を出したことで、自分へのプレッシャーを自分で大きくしてしまった
世界選手権でSP6位と出遅れ、演技後に舌を出す宇野昌磨=さいたまスーパーアリーナで2019年3月21日、宮間俊樹撮影
無意識のうちに責任感が気負いへと変わっていたのかもしれない。19~20年シーズンは、長年師事した山田満知子コーチ、樋口美穂子コーチの下を離れて更なる成長を誓ったが、ジャンプが決まらないスランプに陥った。
19年11月のフランス杯ではフリーで大崩れしてショートプログラム(SP)と合わせた総合成績は8位。コーチ不在の中、得点を待つ「キス・アンド・クライ」に1人で座り、涙を流した。ファイナルを含むシニアGP13戦目にして初めて表彰台を逃した。
コーチ不在で挑んだジャパン・オープン。宇野昌磨にとって転機のシーズンとなった=さいたまスーパーアリーナで2019年10月5日、佐々木順一撮影
全日本選手権のSPで会心の演技を見せ、ガッツポーズする宇野昌磨=東京・国立代々木競技場で2019年12月20日、佐々木順一撮影
どん底でもがく宇野に、手を差し伸べた人がいた。それが世界選手権で優勝経験もあったランビエル氏だった。ランビエル氏の母国スイスで調整して臨んだ2週間後のロシア杯は4位。シニア転向1年目から4年連続で出場してきたGPファイナル進出を逃したが、「(スイスでの練習は)充実していた」と復調へのきっかけをつかんだ。19年12月の全日本選手権では4連覇を達成。リンクサイドには臨時コーチ(当時)として来日したランビエル氏の姿があった。
全日本選手権の公式練習中、臨時コーチのステファン・ランビエル氏(左)から助言を受ける宇野昌磨。大会後、正式に師事することを発表した=東京・国立代々木競技場で2019年12月18日、佐々木順一撮影
フランス杯が終わってから、そこで気持ちが一つ変わって、フリーでぼろぼろの演技をした時点で、自分で勝手に背負っていたものが下りたというか……。
つらい演技で、つらい時期もあったけど、フランス杯が一番あって良かったと思うし、それがあったからこそ今この場にいると思う。
今季苦しい中でもスケートをやめずに、ここまでやってこられたことが、良い方に向いて良かった
宇野は再び、滑る楽しさを見いだした。
宇野が目指す4回転ジャンプ5本を跳ぶプログラムとは、どれほど高次元のものなのか。平昌五輪後の18~19年シーズンからルールが改正され、フリーで跳べるジャンプは8本から7本に減った。現行ルールの下、国際大会で着氷したのはネーサン・チェン、ビンセント・ゾウ(ともに米国)、そして羽生結弦(ANA)の3人しかいない。回転不足などを取られずに4回転5本を降りたのは、チェンと羽生だけだ。
宇野昌磨の全日本選手権フリー演技。ランビエルコーチ振り付けの「ボレロ」のラストには代名詞のクリムキンイーグルも=さいたまスーパーアリーナで2021年12月26日、手塚耕一郎撮影
半回転多いアクセルを含む6種類のジャンプのうち、4種類以上の4回転ジャンプをマスターしなければ挑むことすらできない。さらに演技前半だけでなく、後半にも4回転を必ず入れなければならない構成となり、体力や筋力の消耗は激しくなる。
NHK杯では自己ベストをマークした宇野昌磨。「世界で競い合う存在に戻って来られたのかな」と充実感をにじませた=東京・国立代々木競技場で2021年11月13日、手塚耕一郎撮影
この構成を選んだ背景には、「最大目標」とする羽生の存在があった。21年の世界選手権後、宇野はこう語っている。
羽生結弦(左)を「最大目標」と話す宇野昌磨=さいたまスーパーアリーナで2019年3月19日、宮間俊樹撮影
今できるジャンプに満足していたが、20年の全日本選手権で、羽生結弦選手の演技(優勝)を見て、僕はもっと成長しないといけないと強く痛感した。そこから現状を磨く練習をしてきたが、もっと先を見据えた練習になってきた。その時に跳べる最大限のプログラムに毎回挑戦していきたい
全日本選手権の公式練習で、自分の目の前で転倒した宇野昌磨(左手前)に、笑顔で言葉をかける羽生結弦=さいたまスーパーアリーナで2021年12月23日、手塚耕一郎撮影
21年の初めから、近年は構成に入れてこなかった4回転ループを練習するようになった。そして現在のフリーの構成にはフリップ、ループ、サルコウ、トーループ2本という4種類5本の4回転ジャンプを組み込んでいる。「これ以上僕が跳べているジャンプは一つも存在しない」。自身の競技人生でも最高難度のプログラムだ。
宇野は今季出場した国内大会を含む全4戦で、4回転5本を予定したが、全てを決めることはできなかった。21年12月の全日本選手権は5本のうち4本が出来栄え評価で加点のつくジャンプだったが、四つ目の4回転トーループで転倒してしまった。それでも滑るごとに手応えを深めており、北京のリンクでの成功へ期待は高まる。
今季に限れば、国際大会では10月のGPシリーズ第1戦、スケートアメリカで優勝したゾウしか4回転5本を着氷していない。この大会で2位だった宇野は、間近でゾウの演技を見て刺激を受けていた。
ビンセント選手が練習している姿を見て、日ごろからどれだけフリーを練習しているんだ、と思うくらいの安定感がにじみ出ていた。もっと練習しないといけないなと思いました
ただしゾウはこの大会でクリーンに降りた4回転ジャンプは1本のみ。1本は不明確な踏み切り、3本は回転不足とのジャッジを受けた。ハードルの高いプログラムだからこそ、宇野を含むトップスケーターの挑戦への意欲をかきたてる。
高難度プログラムで2度目のオリンピックに挑む宇野昌磨=東京・国立代々木競技場で2021年11月13日、手塚耕一郎撮影
真剣な表情で作り上げる氷の世界から一変し、宇野はリンクを離れれば素朴な一面を見せる。18年平昌五輪で銀メダルを獲得した翌日には、寝不足のせいか記者会見中にうとうとし始める場面もあり、場を和ませた。
平昌五輪で銀メダル獲得から一夜明け、記者会見で時々眠たそうに目頭を押さえる宇野昌磨=韓国・平昌で2018年2月18日、手塚耕一郎撮影
20年8月には動画投稿サイトに自身のチャンネルを開設。また別のチャンネルでは、愛犬との様子も頻繁に配信している。21年末、「表情が明るくなった」と指摘された宇野は「僕、表情明るいですかね?」と返しつつ、愛犬との日々を含めて穏やかに答えた。
宇野昌磨の弟・樹さんのYouTubeチャンネル「Uno1ワン チャンネル」
1年前、2年前に比べると、公の場で笑顔になる機会ってちょっと減ったかなと思う。それだけスケートにすごく真剣。自然な笑顔はあると思うが、緊張をほぐすための笑顔は、今はやっていない。ワンちゃんとかも結構苦手だったが、今ではすごい可愛いと本当に思う。年々、僕自身が人間らしくなっていると感じる
NHK杯でフリー演技を終え、少し首をかしげる優勝した宇野昌磨=東京・国立代々木競技場で2021年11月13日、手塚耕一郎撮影
オンとオフを切り替えるためのアプローチにも変化が出てきた。
スケートのことばかり考えて生活することが多くなった。これまでは、日常生活でゲームとかいろいろなことをしている上で、スケートをしていない時はあまりスケートのことを考えないことが多かった。でも今は、どんな出来事もスケートにどう影響するかということを自然と考えるようになった
時に真剣に、時にちゃめっ気あふれる宇野の人柄は、多くの人の心をつかんでいる。
国内で調整を続ける宇野が、何度も繰り返してきた言葉がある。
早く戻って練習したい
北京五輪代表に選ばれ、記者会見に臨む宇野昌磨=さいたまスーパーアリーナで2021年12月26日、手塚耕一郎撮影
公式戦では完璧に決めたことのない4回転5本を組み込むフリーのプログラムだが、練習では何度か成功させている。本番で理想の演技を見せるには、練習での精度を上げるしかない。それが大舞台での成功、勝利へつながると信じている。
2年前の、どん底にいた姿から現在の自分を想像できたか? そう尋ねると、こんな答えが返ってきた。
想像していなかったという言葉が一番近いかなと思います。自分の実力というのは、低く見積もっているつもりはなかったけど、もしあの状態のまま五輪に出たとしても絶対に表彰台に乗るような選手ではなかったかなというのも自覚している。2年間で、僕は成長したい、うまくなっている自分が一番好き、そう思えた
北京オリンピック本番のリンクでの練習に臨む宇野昌磨=北京・首都体育館で2022年2月3日、手塚耕一郎撮影
宇野は北京の目標として、あえて「金メダル」と言葉にしているわけではない。それでも間違いなく、トップに対する思いは4年前とは違う。
前までは(1位に)なれたらいいな、うれしいなっていう感じ。今は、なれたらうれしいなというより、なれるような練習をしていこうという考え。ここが限界と決めずに、どんどん先を見据えて成長していきたい
強い意志が宿った宇野。理想の未来予想図は、まだ先にある。
苦しんだ時期を乗り越え、2度目のオリンピックに挑む宇野昌磨=東京・国立代々木競技場で2021年11月12日、手塚耕一郎撮影