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通学や仕事をしながら家族の介護をする子ども「ヤングケアラー」。将来が左右される深刻なケースも。

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「なぜ施設に入れなかった?」 15歳から母を介護、理解されず孤立

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2020年8月に宮崎成悟さん(右)が母の美雪さんと撮ったツーショット=宮崎さん提供
2020年8月に宮崎成悟さん(右)が母の美雪さんと撮ったツーショット=宮崎さん提供

 ヤングケアラーという言葉に出合い、自分自身が何者かを知りました――。15歳のときから難病を患う母の身の回りの世話を担い、介護のため大学進学を一度は諦めた。就職活動でもケアに費やさざるを得なかった事情が理解されず、ようやく勤めた会社も介護離職した。「何で自分だけ」と落ち込んだ時期もあるが、言葉を知って同じ境遇の仲間たちとつながった。そんな経験を持つ男性はいま、当事者たちのオンラインコミュニティーを運営し、かつての自分のような人たちの力になろうと前を向いている。【三上健太郎/デジタル報道センター】

 「母が他界しました」

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言下で東京オリンピックが開かれていた2021年8月4日、こんなツイートが投稿された。

 書いたのは、ヤングケアラーの支援を検討する政府のプロジェクトチーム(PT)のヒアリングに招かれたり、メディアに出演したりして、当事者だった自身の経験を発信している宮崎成悟さん(32)だ。

 神経系の難病を患っていた母の美雪さんが前日の3日、東京都内の自宅で息を引き取った。65歳だった。7月末、父から「お母さんの具合が悪い。もう長くない」と緊急の連絡が入った。急いで実家に戻り、1週間ほど仕事を休んで母のそばにいた。「お母さん、大丈夫?」。母は寝たきりで話もできない。宮崎さんはただ、母の手を握った。

夜に母を背負ってトイレに

 両親と2歳上の姉、4歳年下の弟の5人家族だった。家族の中でも宮崎さんと母は似通ったところが多かった。ジェットコースターのような絶叫系の乗り物が怖かったり、泳ぐのが苦手だったり。

 母の異変に気づいたのは、宮崎さんが中学3年のとき。…

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【ヤングケアラー】

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