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没後200年・伊能忠敬を歩く

2018年は伊能忠敬が没して200年。ゆかりの地を記者が訪ねました。

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没後200年・伊能忠敬を歩く

/38 寄り道した東京・高尾山 本人は街道筋の測量専念

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薬王院の浄心門。杉林の中、参道が続く=高尾山で13日、広瀬登撮影
薬王院の浄心門。杉林の中、参道が続く=高尾山で13日、広瀬登撮影

 伊能忠敬率いる測量隊は、ときどき主要な街道から寄り道し、妙義山や大山といった山岳信仰に縁の深い山に足を延ばしている。東京の高尾山もその一つ。第1次九州測量から江戸への帰途に訪れている。忠敬の「測量日記」を片手に、同地を歩いた。

 測量隊が東京都と神奈川県の境に近い小仏の宿場から甲州街道を八王子横山宿へ向け出発したのは1811年6月25日午前6時ごろ。「大日本沿海輿地(よち)全図」第90図「武蔵・下総・相模」を確認すると、測線は新井と駒木野の字の間から高尾山へ枝分かれする。両字の名は、高尾駅と小仏を結ぶバス路線の停留所名に、それぞれ「荒井」「駒木野」として残る。2月中旬、小雨が降る中、同地に立てば、圏央道と中央道の八王子ジャンクションはすぐ近く。JR中央線を走る列車の音も間近に聞こえた。

 「測量日記」によると、2隊に分かれた測量隊のうち先発隊が、小仏から測量をせずに「上椚田(かみくぬぎだ)村」(現・東京都八王子市高尾町付近)へ進んで高尾山を登り、測線分岐点へと下った。しかし現在、小仏寄りの「蛇滝口」から始まる登山コースはあるものの、荒井バス停付近と高尾山を結ぶ道は見あたらない。

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