大阪桐蔭Vの強打者・山本ダンテ武蔵 大学での苦悩と復活、就職先は
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大阪桐蔭高の4番打者としてセンバツ優勝に貢献したものの、国学院大で長いスランプに陥った山本ダンテ武蔵外野手(21)。一度は一般就職を考え、野球をやめるか悩んだ。見つめ直した自身の打撃。今春、社会人野球の強豪・パナソニックに進み、飛躍を期す。
名前の由来は宮本武蔵と武蔵丸
「結果を残せなければ野球をやめないといけない世界。自主練習への向き合い方など、選手一人一人の意識が高いです」
1月中旬にパナソニックの練習に合流した山本。社会人野球ならではの緊張感を肌で感じつつも、その声は力強い。打撃練習や走り込みでは積極的に声を出し、雰囲気を盛り上げる。練習を見守る田中篤史監督は「今までのチームにいなかったタイプで、先輩たちも驚いているのではないか。既に新しい風を吹かせてくれています」と期待する。
大阪桐蔭高3年時の2017年センバツでは4番に座り、5試合フル出場で打率3割3分3厘。決勝の履正社(大阪)戦では九回に適時打も放ち、主軸の責任を果たした。もっとも印象に残っているのは2回戦の静岡戦。一回表に6点を先取したが、その裏に追いつかれると、七回まで2点のリードを許す苦しい展開。それでも八回に逆転して勝利し、「後半負けていても大丈夫だという落ち着きが出てきた。チームとして成長できた一戦でした」と振り返る。
米国人の父、日本人の母との間に広島県で生まれた。名前の「武蔵」は、父が好きだった剣豪・宮本武蔵と大相撲の元横綱・武蔵丸にあやかった。中学で所属した広島瀬戸内シニアで活躍して大阪桐蔭に進み、センバツ優勝で幼い頃からの目標を達成した。「自分の技術、野球に自信を持てた。大きく価値観が変わりました」と話す。
国学院大に…
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