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第94回センバツ高校野球

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情熱の理由

82歳の監督、挑戦は続く 甲子園14回、江川も攻略

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年齢の離れた部員たちに優しく声をかける迫田穆成さん=広島県竹原市の県立竹原高校で2月21日 拡大
年齢の離れた部員たちに優しく声をかける迫田穆成さん=広島県竹原市の県立竹原高校で2月21日

情熱の理由(わけ)

 年齢は選手の5倍。「1年生(16歳)ならお釣りが来る。彼らのおじいさん以上なんです」。こう言って目を細める迫田穆成(よしあき)さんは82歳。広島商、如水館と広島県内の強豪校を春夏通算14回、甲子園に導いた。そのベテラン監督が2019年の夏の大会後から指導しているのが、人口約2万4000人で瀬戸内海に面した広島県竹原市にある県立の竹原だ。

 広島商では選手としても監督としても全国制覇を経験した迫田さんだが、その名を知らしめたのは準優勝した1973年のセンバツで作新学院(栃木)を破った準決勝だろう。相手エースは後に巨人で活躍する江川卓さん。当時も大会屈指の好投手で、4試合で奪った60三振は大会の通算最多記録として今も破られていない。

 「サコ、関東にすごい投手がおるぞ。今プロに行っても15勝できる」。前年の秋にプロのスカウトから江川投手の存在を伝え聞いた。そこで考えたのが、二、三塁に走者を置いてスクイズをわざと失敗、三塁走者が三本間に挟まれる間に二塁走者が一気に本塁を突くという秘策だった。

 試合では実現しなかったが、重盗を仕掛けて決勝点を奪い、夏の甲子園ではスクイズで三塁走者に続き二塁走者も一気に生還させる「2ランスクイズ」を成功させた。「センバツに出られるかどうかも分からないのに、この練習を前年8月から毎日1時間続けた。だからこそ(2ランスクイズで二塁走者が)生還できると判断できた」と振り返る。

 そんな経験豊富な指導者が竹原の監督に就任したのは、同校野球部保護者会長からの熱心な誘いだった。竹原市在住で陶芸家の長女・岩川智子(のりこ)さん(56)の知人で、「娘が世話になっているので」と引き受けた。同校は1906年創設で野球部は46年に創部。過去にはプロ選手も輩出したが、近年は部員数が少なく県大会での苦戦が続く。21年4月に新入生が41人だと聞いた迫田さんは「入部するのが41人かと思っていたら学校全体。男子は14人で、野球部に来たのは3人だった」と苦笑いする。

 現在はマネジャー1人を除くと9人とギリギリだ。「昔のような練習はできません。『けがをせんように』というのが一番です」

 広島商時代、特に江川投手を攻略したチームは遊撃手だった金光興二主将(法政大―三菱重工広島、元法政大監督)がまとめていた。「後輩も『キャプテン、もっと怒ってください。そうすると監督から怒られんから』と話し、私が何も言わなくても引き締まっていました」。その一方で、やめていく部員も多かったという。

 「ここでは補習を終えてからグラウンドに来る部員もおる。それでも、ほめてやる。ほめられたことはずっと残りますから」。迫田さん自身も小学1年で野球を始め、最初は「ぼろくそに負けた」という。やる気を失いかけたが、その後に大人のチームに交ぜてもらうようになり、そこでほめてもらった。「それで、この年齢まで続けています」と振り返る。

 現チームの主将、新納涼介投手(2年)は野球をするつもりはなかったが、「体験入部で迫田さんにほめられたから」と加入。「とても優しく野球を知り尽くした人。監督の助言でボールの伸びも出てきた」と喜ぶ。それまで、ほめる指導をしてこなかったという迫田さんも「自宅ではすぐに自室に閉じこもっていたのが、野球部の話をするようになったと、喜んでくれる保護者もいます」と手応えを感じている。

 野球未経験者だった2人が迫田さんの指導を経て大学で硬式野球を続けている。地元の期待を感じ、甲子園も諦めてはいないが、今は一人でも多くが野球を好きになってほしい。その思いは着実に実を結びつつある。【中田博維】

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