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ウクライナ侵攻

ロシア軍がウクライナに侵攻。米欧や日本は対露制裁を決めるなど対立が先鋭化しています。

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「強権の中での自由」 プーチン氏を生んだロシアの土壌

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ラトビア共和国の首都リガで、前夜の同共和国指導部の決定により引き倒されたレーニン像=1991年8月24日、ロイター
ラトビア共和国の首都リガで、前夜の同共和国指導部の決定により引き倒されたレーニン像=1991年8月24日、ロイター

 ロシア文学者で名古屋外国語大学の亀山郁夫学長は、ウクライナ侵攻をどう見ているのか。ロシアのプーチン大統領の「夢」を読み解いた前編に続き、後編では、こうした政治家を生み出したロシアの風土について語った。【大野友嘉子/デジタル報道センター】

ウクライナ訪問とゴルバチョフ氏との会談

 ――「ロシア文学者をやめようと考えた」ことがあったと。きっかけを教えてください。

 ◆2014年7月にマレーシア航空の旅客機がウクライナ東部で撃墜され、乗客全員が死亡した事件です。この事件で、乗客、クルー合わせて298人もの命が失われました。

 撃墜したのは、むろん親露派武装勢力です。その事実を知ったとき、頭から血が引きました。「民間人、それも子どもの命をも犠牲にしてまで、押し通さねばならないことがあるのか」と絶望したのを覚えています。

 偶発的だったとはいえ、撃墜の事実に変わりはありません。私は、正直、ロシア文学者であることをやめたいと思いました。そしてその年の夏、半ば罪滅ぼしの気持ちでキエフとチェルノブイリを訪れ、その年の終わりに、ゴルバチョフ元ソ連大統領にインタビューを求めたのです。

 ――ウクライナ訪問の目的は何だったのでしょうか。

 ◆ウクライナの「ロシア・フォビア」(ロシア嫌悪)の実態を探りたいと思ったのです。言ってみれば、意識調査です。

 当時の私には、幼稚な仮説がありました。ウクライナは、長くチェルノブイリと常に二重写しにされる国家でした。チェルノブイリのトラウマを克服するには、ソ連時代のすべての悪夢を忘れ、ロシアの抱擁から離脱することだ、と。

 ところが、キエフに来て、予想とはまったく別のウクライナの姿をこの目にしたような気がしました。もはやキエフ市民の目は、全く過去に、つまり「東」に向いていないことが分かったのです。つまり、ロシアが眼中にないという感じなのです。

 その年の暮れ、ゴルバチョフ氏への単独インタビューを試みた私は、彼の口からはっき…

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【ウクライナ侵攻】

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