高松塚壁画発見50年 「鳥肌立った」 ある考古学者の回想と悔恨

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高松塚古墳を発掘した当時を振り返る森岡秀人さん=奈良県橿原市で2022年3月3日、菱田諭士撮影
高松塚古墳を発掘した当時を振り返る森岡秀人さん=奈良県橿原市で2022年3月3日、菱田諭士撮影

 奈良県明日香村の特別史跡・高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)で、女子群像「飛鳥美人」で知られる国宝の極彩色壁画が見つかって21日で50年を迎える。関西大大学院非常勤講師の森岡秀人さん(70)は1972年の調査に学生として参加し、壁画を目撃した。考古学者の卵が発掘日誌に「いつまでも忘れない」と記した日から半世紀。「高松塚」は何を教えるのか。

 「現場が大変や」。72年3月21日、森岡さんが昼食を終えて発掘現場に戻る途中、関西大考古学研究室の先輩が坂道を駆け下りてきた。「何かあったんですか」。「ここでは言われへん」。現場にいた関西大助教授(当時、後に教授)の網干善教さん(2006年に78歳で死去)が学生に告げた。「絵が見えた」。そして露出した石室の盗掘穴から交代で中を見るよう促した――。

 きっかけは70年10月ごろ、網干さんが村職員から「住民がショウガの貯蔵穴を掘った際、切り石を見付けた」と聞いたことだった。網干さんは重要性を直感し、発掘調査が72年3月1日に始まった。

 初日はまだ雪が残っていた。直径20メートルほどの無名の円墳は竹やぶに覆われていた。「3日ほどで石室が出る」という予想は、土を突き固める「版築(はんちく)」で造られた墳丘にはね返された。発掘用クワで土を砕いては運び出す傍ら、森岡さんは調査の要点や略図を野帳(やちょう)(フィールドノート)に書きとめ、父親から借りた二眼レフカメラのシャッターを切り続けた。

 20日後。午前の作業で天井石が現れ、南側の盗掘穴が露出し始めた。森岡さんの写真には、腹ばいの網干さんが盗掘穴から石室の奥行きを測る様子が捉えられている。壁画の発見はその直後、正午過ぎだった。

 森岡さんも促されて盗掘穴に頭を突っ込んだ。左側の暗がりに緑色…

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