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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「ロシア同様、日本も無差別殺りくをした」 歴史に学び、核廃絶を

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「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」世話人会で発言する被爆者の豊永恵三郎さん(中央)=広島市中区で2022年3月13日、滝川大貴撮影
「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」世話人会で発言する被爆者の豊永恵三郎さん(中央)=広島市中区で2022年3月13日、滝川大貴撮影

 「第二次世界大戦中、日本はアジアへの侵略で、米国は日本に空襲や原爆で、ロシアがウクライナにしたことと同じような無差別な殺りくをしてきた」。修学旅行生に被爆体験を語る証言活動を続けている元教師の豊永恵三郎さん(85)は19日、神奈川県の女子高生たちにオンラインで証言した際、冒頭にこう語りかけた。「核の悲劇を繰り返さないために、日本の戦争や歴史をきっちり勉強して考えなければいけない」

 横浜市出身。3歳で両親と広島市尾長町(現・広島市東区)に移り、米軍が原爆を投下した1945年8月6日は9歳だった。市内の建物疎開作業に3歳の弟と連れだって行った母親を捜し、祖父と翌7日から9日まで中心部に入って入市被爆。2人は爆心から約1・6キロの昭和町(同中区)で被爆した。

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【広島・長崎原爆】

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