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無名の少年、日本代表の救世主に サッカー小僧・伊東純也の原点

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サッカー日本代表の伊東純也選手=埼玉スタジアムで2022年2月1日、宮武祐希撮影
サッカー日本代表の伊東純也選手=埼玉スタジアムで2022年2月1日、宮武祐希撮影

 サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)カタール大会アジア最終予選でオーストラリアに勝利し、W杯出場を決めた。

 無名の少年時代から成り上がった物語は、世界最高峰の舞台へと続く。24日にシドニーで開催されたサッカー・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選でオーストラリアを降し、7大会連続7度目の本大会出場をつかんだ日本。3戦目までに2敗する苦しい船出となった今予選でチームを救ったのが、伊東純也選手(29)=ゲンク=だ。

 「責任を感じていないわけではないけど、それを力にできるタイプだと思う。難しい状況にはなったけど、まだチャンスはある」

 昨年10月、自身が累積警告により出場停止となった第3戦のサウジアラビア戦で日本が敗れた後、伊東選手は決意を語った。持ち味のスピードを生かした鋭い飛び出しで11月のベトナム戦から立て続けに得点を挙げた。苦境のチームを引っ張り、日本勢歴代最多に並ぶ4試合連続ゴールと勢いに乗ってオーストラリア戦に臨んだ。

 神奈川県横須賀市出身。小学1年時に地元の鴨居サッカークラブ(SC)でボールを蹴り始め、すぐにのめり込んだ。父利也さん(55)は「サッカー小僧だった。どこに行くにもボールを持って、練習も休みたくないから風邪を引いても週末までに治した」と笑う。

 スピードやドリブルのうまさは当時から際立っていた。鴨居SCで代表を務める原田康臣さん(60)は、小学6年だった伊東選手が後輩にドリブルの手本を見せた時のことをよく覚えている…

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