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「人類館」に問われる私たち/下 国家的イベント、屈折する視線=東京工芸大准教授・キュレーター、小原真史

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1867年パリ万博に出演した日本女性たちを描いた、英国の週刊新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のイラスト
1867年パリ万博に出演した日本女性たちを描いた、英国の週刊新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のイラスト

 東京オリンピックの招致活動が始まってからの約10年間、私は来たるべき国家的イベントについて考えてみたいと思い、博覧会関係の資料を研究・収集してきた。2018年には、大阪・関西万博の招致も後に続くことになったが、万博に対する一般的なイメージは、「テクノロジーがもたらす明るい未来」の展示場という程度で、その歴史はさほど知られていないように見える。万博の黄金期に当たる19世紀半ばから20世紀初頭は、帝国主義・植民地主義の時代でもあった。その影響を色濃く反映した国家的イベントもまた、明るいイメージだけでは語りきれない部分を多くはらんでいたはずだ。私が目にしてきた資料は、まばゆい光に彩られた万博の影の部分についても雄弁に物語るものだった。

 例えば、こんなエピソードがある。若き渋沢栄一が1867年のパリ万博を訪れた際、西洋人が自分たち日本人を「磁器漆器と同視」しているような印象を受けたというものだ。芸者3人がお茶を出したり、キセルを吸ったりする様子を見に多くの来場者が集まっており、エキゾチックな身体が見世物(みせもの)になっていた。自分たちに注がれる、あたかも物でも見るかのようなまなざしは、この時代の多くの非西洋人が共通して感じ取っ…

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