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沖縄復帰50年

2022年5月15日、沖縄は本土に復帰して50年を迎えました。何が変わり、何が変わっていないのか。沖縄の歩みと「今」を伝えます。

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沖縄「復帰50年」の群像

「私たち」で思いつなぐ ひめゆり平和祈念資料館学芸員・前泊克美さん

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ひめゆり学徒隊の体験を通して沖縄戦の記憶を継承する前泊克美さん=沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で2022年3月17日、嬉野京子さん撮影
ひめゆり学徒隊の体験を通して沖縄戦の記憶を継承する前泊克美さん=沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で2022年3月17日、嬉野京子さん撮影

 沖縄県糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」が、「戦争からさらに遠くなった世代」に向けて展示をリニューアルして4月で1年になる。ひめゆり学徒隊と沖縄戦の記憶をどのように語り継ぐか。1989年の開館から一貫して、生き残った元学徒が証言員となって亡き友への鎮魂を胸に「戦争は人災」と説き、少女たちを戦場に向かわせた教育の恐ろしさ、平和の尊さを訴え続けてきた。その凜(りん)とした姿勢は、学芸員の前泊克美さん(44)ら戦争を体験していない職員たちにつながる。代を継いでひめゆりを支える人々の声にいま、耳を澄ます。【客員編集委員(沖縄在住)・藤原健】

問われたのは覚悟

 「腰掛けの気分ではないですよね」

 2001年3月、前泊さんは那覇市内のひめゆり同窓会館で、資料館の採用面接に臨んだ。にこやかな笑顔で迎えてくれたのは、元ひめゆり学徒の本村つるさん(96)ら4人。同じ元ひめゆり学徒の宮良ルリさん(21年、94歳で死去)について琉球大学の卒業論文にまとめていただけに、沖縄戦や資料館の概要は知っていた。だが、問われたのは知識ではない。やさしく、しかし、覚悟を求める厳しい言葉だった。

 資料館は戦後44年、日本復帰17年後の「慰霊の日」(6月23日)に開館した。国や県、市などの公的資金に頼らない。沖縄師範学校女子部(女師)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)両校の同窓会を母体とする公益財団法人「ひめゆり平和祈念財団」が運営する。生き残った元ひめゆり学徒が証言員となり、戦争の惨禍を体験した学徒の視点で沖縄戦の実相を語り、平和への願いを訴える役割を担って出発した。

 ひめゆり学徒隊は女子の中では唯一教師が引率し、動員数、戦没数とも最多で、映画、演劇、小説、詩歌などで繰り返…

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【沖縄復帰50年】

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