「信じているけど頼っていない」 小平奈緒を飛躍させた恩師との関係

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平昌オリンピック・スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得し、ウイニングランをする小平奈緒(左)。右は結城匡啓コーチ=江陵オーバルで2018年2月18日午後9時32分、手塚耕一郎撮影
平昌オリンピック・スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得し、ウイニングランをする小平奈緒(左)。右は結城匡啓コーチ=江陵オーバルで2018年2月18日午後9時32分、手塚耕一郎撮影

 スピードスケート女子で一時代を築き、12日に10月の全日本距離別選手権を最後に引退すると発表した小平奈緒(35)=相沢病院=の競技人生を支えたのは、信州大時代から二人三脚で歩んできた結城匡啓(まさひろ)コーチ(56)=信州大教授=だった。2018年平昌オリンピックで日本のスピードスケート女子初の金メダルを獲得した裏には、小平が「信じてはいるけど、頼ってはいない」という特別な距離感で育んだ師弟関係があった。

 長野県茅野市生まれの小平が結城コーチの存在を知ったのは、地元で行われた1998年長野五輪へとさかのぼる。当時、小平は11歳。男子500メートルで金メダルを獲得した清水宏保の活躍が、本格的に競技者の道を志すきっかけになったという。清水の活躍を取り上げたテレビ番組で、清水を支えた一人が、結城コーチであったと知った。「この人のところでスケートを学びたい」。結城コーチが教員として在籍する信州大への進学を思い描くようになった。

 その後、小平は中学2年で出場した全日本ジュニア選手権で高校生、大学生を退けて女子スプリント部門で優勝。「進学コースもあったから」という理由で選んだ長野・伊那西高では3年で全国高校総体500メートル、1000メートルの2冠を達成。国立大である信州大を受験し、合格した。

 男子500メートルでワールドカップ(W杯)出場経験がある結城コーチはスポーツ科学の研究者としての顔も持つ。信州大ではスケート部の新入部員に滑走技術の勉強会を開催してきた。念願だった結城コーチの講義に、小平は熱心に耳を傾けた。「ぐっと鋭い視線でこっちを見て、私の言葉を一言一句聞き漏らしたくない雰囲気でした」。そう振り返った結城コーチだが、中学、高校で実績を残した小平の名は、入学前から知っていた。それでも指導する上で全く遠慮はなかった。

 「申し訳ないけど、下手くそだ」「滑りを修正しないと、とてもじゃないけど世界のトップへは行けない」

 小平は「私はそれ(世界トップの滑り)をやりたくてここに来ました。た…

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