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渋沢栄一を歩く

「日本資本主義の父」と呼ばれ渋沢栄一の生涯を、生まれ故郷・埼玉県深谷市を中心とした取材からたどります。

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渋沢栄一を歩く

番外編/下 識者は思う 公益財団法人備中館理事長・阪谷綾子さん /埼玉

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渋沢栄一の同族家に宛てられた「家訓」の一部のコピー=阪谷綾子さん提供
渋沢栄一の同族家に宛てられた「家訓」の一部のコピー=阪谷綾子さん提供

「公益の追求」未来へ共有

 「渋沢栄一を歩く」番外編の最終回は、公益財団法人備中館理事長の阪谷綾子さん。渋沢と、幕末の儒学者として知られる阪谷朗廬(ろうろ)の玄孫(やしゃご)にあたります。子孫の一人が読み解く渋沢像とは。【聞き手・坂本高志】

 渋沢栄一は、私の曽祖母の阪谷琴子(渋沢の最初の妻である千代との次女)の父親です。大河ドラマでも描かれましたが、栄一は若い頃、一橋家の兵隊集めのために今の岡山県井原市を訪れ、朗廬と会って酒を酌み交わし、当時の国の情勢などを論議しました。その後明治になり、不思議なご縁で琴子が朗廬の息子(阪谷芳郎)と結ばれました。

 栄一には2人の妻との間に11人の子が生まれ、早世した者を除き最終的に7人の子が残りました。栄一はその7家で同族会社を作りました。栄一が50歳だった1891年に、直筆で「家法」と「家訓」を書き、阪谷家にもそれらの冊子が付与され、今は私が保管しております。

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