日の丸、御真影がよりどころ 士気高揚、皇民化…結末は沖縄戦
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戦後27年間の米国統治下の一時期、沖縄で「祖国復帰」への願いを込めて盛んに振られた日の丸。だが、時代をさかのぼると、その旗は県民を巻き込んだ太平洋戦争末期の沖縄戦に至る経過の中で、重要な役割を担ったものでもあった。
「日本はやはり強い。負けることを知らない」
1941年12月、日本軍による米ハワイの真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争。當真嗣長(とうましちょう)さん(91)=沖縄県恩納村=が通っていた国民学校の教室には世界地図が貼られ、日本軍が南方の地域を占領する度に、子供たちが紙に描いた日の丸を貼り付けていった。當真さんの心は高揚した。
1879年のいわゆる「琉球処分」で、約450年にわたる琉球王国が廃止され、県が設置された沖縄。約20年後には沖縄でも徴兵制が始まり、日中戦争(1937年開戦)では沖縄からも兵士が前線に派遣された。集落の人々は日の丸の小旗を振って兵士たちを見送った。「兵士が出征した家には日の丸が掲げられ、男手が足りないからと、学校の子供たちが農作業を手伝いに行った」。當真さんはそう振り返る。
太平洋戦争の頃には、地元の子供たちで「大日本青少年団」が結成され、日の丸の下で軍隊式の訓練が施された。當真さんは14歳の時に少年団長となった。行進を指揮し、敵国の米英首脳を模したわら人形を竹やりで突いた。「何が何でもやっつけてやろうという気持ちだった」。国のために身をささげることが求められた時代だった。
♪白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は
瀬名波起広(きこう)さん(86)=宜野湾市=は子供の頃に何度も歌った「日の丸の旗」を今もそらんじる。「歌いながら、運動場での朝礼で旗が揚がっていくのを見たんじゃないかな」
日の丸とワシをあしらった記章を胸に付け、「自分もいつかは軍人に」と憧れた。だが、戦火はひたひたと沖縄に迫っていた。…
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