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社会に衝撃を与えた重大事件・事故の特集ページです。発生当時の状況や事件の背景、社会への影響について、当時の新聞紙面や写真を使って詳しく解説しています。警察の隠語を紹介した用語集も併せてご覧下さい。

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地下鉄サリン事件

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 地下鉄サリン事件は、1995年3月20日、東京都心を走る電車内で猛毒のサリンがまかれた無差別テロである。松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚を教祖とする「オウム真理教」が計画・実行し、14人が死亡、約6300人が負傷した。多くの信者を「マインドコントロール」で洗脳し、大都市の中枢で化学兵器を使う手口は世界に衝撃を与え、20世紀末の日本社会を大きく揺るがした。

事件概要

地下鉄日比谷線築地駅から地上に出て倒れた乗客を、路上で手当てする東京消防庁の救急隊員ら=東京都中央区築地で1995年3月20日、本社ヘリから山下浩一撮影
地下鉄日比谷線築地駅から地上に出て倒れた乗客を、路上で手当てする東京消防庁の救急隊員ら=東京都中央区築地で1995年3月20日、本社ヘリから山下浩一撮影
事件名地下鉄サリン事件
発生日時1995年3月20日午前8時ごろ
場所東京都心の地下鉄3路線の5車両内
被害者14人が死亡、約6300人が重軽傷
容疑者松本智津夫(麻原彰晃)元教団代表と幹部ら
動機教団への強制捜査を阻止するため
判決10人の死刑(2018年に執行)と5人の無期懲役が確定
特徴猛毒の化学兵器を使った無差別テロ事件
防護服で地下鉄車両の汚染除去作業をする自衛隊員=丸ノ内線後楽園駅で自衛隊が撮影(自衛隊提供)
防護服で地下鉄車両の汚染除去作業をする自衛隊員=丸ノ内線後楽園駅で自衛隊が撮影(自衛隊提供)

 地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。朝の通勤、通学の時間帯に、新興宗教団体「オウム真理教」のメンバー5人が東京都心の地下鉄の3路線で猛毒のサリンをまいた。乗客・駅員計14人が死亡し、約6300人が負傷する大惨事となった。

 教団は信者の脱会などを巡って各地で事件を起こしており、首都を混乱させて、間近に迫った警察の強制捜査を防ぐことが狙いだった。

 裁判では教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚が事件の首謀者と認定され、松本元死刑囚を含む教団幹部ら10人の死刑と5人の無期懲役が確定した(2018年7月、他の事件の死刑囚3人を含む計13人の死刑が執行された)。

オウム真理教とは

 松本元死刑囚が84年に設立したヨガ教室「オウム神仙の会」が前身で、87年に「オウム真理教」に改称した。

 「修行をすれば超能力者になれる」などとうたって若者を中心に信者を増やす一方、高額な布施や出家、脱会をめぐって各地でトラブルとなり、多くの事件を起こした。

 90年には松本元死刑囚ら25人が衆院選に立候補したが全員落選した。これをきっかけに教団は殺人を肯定する教義の実践と武装化を進めていった。

松本元死刑囚の人物像

熊本県警などによるオウム真理教の教団総本部への家宅捜索終了後、記者会見する麻原彰晃代表=静岡県富士宮市で1990年10月22日、出版写真部員撮影
熊本県警などによるオウム真理教の教団総本部への家宅捜索終了後、記者会見する麻原彰晃代表=静岡県富士宮市で1990年10月22日、出版写真部員撮影

 確定判決などによると、松本元死刑囚は1955年3月、熊本県八代市で生まれた。目が不自由だったため県立盲学校の小学部に入学し、中学部、高等部、専攻科を経て卒業。78年に結婚後、しんきゅう師として生計を立て、千葉県船橋市で医薬品の販売業を営むなどした。

 82年ごろから仏教やヨガに傾倒し、「麻原彰晃」を名乗って都内でヨガ教室を開いた。84年に「オウム神仙の会」を設立。雑誌などに「空中浮揚」の写真を掲載して「修行すれば超能力者になれる」と説き、86年には「ヒマラヤで修行して最終解脱した」と称するようになった。

 87年に神仙の会を「オウム真理教」に変更。自らをオウムの主宰神「シヴァ大神」とコンタクトを取れる「グル」だとして、教団内での立場を絶対化しようとした。核戦争への不安をあおりながら、「解脱者が世界に散ることで核戦争が防げる」などとオウムによる人類救済を訴えた。

 教団は、超能力や死後の世界に関心があり、現代社会に不安や不満を持つ若者を入信させ、88年までに出家信者は100~200人、在家信者は3000~4000人に達した。富士山総本部や東京本部のほか大阪、福岡、名古屋、札幌、ニューヨークに支部を開設して勢力を伸ばした。88年12月には「ハルマゲドン」(人類最終戦争)が不可避として終末感をあおり、救済活動の重要性を説くようになった。

事件に至る経緯

 松本元死刑囚は、オウム真理教の勢力拡大には政治力が必要になると考えた。このため、90年2月の衆院選に幹部ら24人と共に立候補したが惨敗した。

 約2カ月後、松本元死刑囚は幹部らを集めて告げた。「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポア(殺害)する」。無差別大量殺人の宣言だった。

 菌の培養、サリン生成などを指示して武装化を進める一方、東京大など有名大学の理科系人材を多数入信させた。のちに教団に「省庁制」を導入し、日本を壊滅させたあとの「オウム国家」の建設に備えた。

 武装化や勢力拡大を進めるにつれ、出家した子どもと連絡が取れなくなった親からの苦情が相次ぐなど、各地でトラブルも目立つようになった。89年には、出家信者の親たちが坂本堤弁護士の支援で被害者の会を結成。これに対し松本元死刑囚は、救済の障害になるものには非合法手段で対処する趣旨の発言をし、「ポアしなければいけない人物」として坂本弁護士を名指しした。

 89年11月、岡崎(宮前に改姓)一明元死刑囚らが実行役となり、坂本弁護士夫妻と1歳の長男を殺害。94年6月には、教団進出に絡んで住民と対立していた長野県松本市で「松本サリン事件」を起こした。

 95年元日に教団施設周辺で「サリン残留物検出」と報じられ、教団はいったんサリンを処分する。しかし、信者の兄の公証役場事務長拉致事件への関与が疑われるなど、警察当局による強制捜査が現実味を帯びていた。

 危機感を抱いた松本元死刑囚らは、大事件を起こして捜査を阻止しようと計画。同年3月18日、都心の地下鉄にサリンをまくこととし、隠していた原料からサリンを生成した。

 「国政選挙で惨敗したことから、武装化による勢力拡大を図り、ついには救済の名の下に日本国を支配して自らその王となることを空想した」。地下鉄サリン事件を含む一連の事件について、松本元死刑囚の確定判決はこう指摘している。

犯行当日

地下鉄サリン事件の発生を報じる1995年3月20日の毎日新聞夕刊1面
地下鉄サリン事件の発生を報じる1995年3月20日の毎日新聞夕刊1面

 事件は通勤ラッシュで混雑する地下鉄で起きた。3月20日午前8時ごろ、秋葉原駅付近を走っていた日比谷線の車内で、林(小池に改姓)泰男元死刑囚が新聞紙で包んだサリン入りビニール袋3個を先端をとがらせた傘で突き刺した。他4人の散布役より1袋多く、事件の犠牲者14人のうち8人が林元死刑囚のまいたサリンで亡くなった。

 日比谷線の別車両に乗り込んだ豊田亨、丸ノ内線の広瀬健一、横山真人の元死刑囚3人と、千代田線の林郁夫受刑者=無期懲役=も同じ方法でサリンをまいた。送迎役、散布役の2人1組の5チームが編成された組織的な犯行だった。

 「お客さんのけいれんです」。午前8時9分、茅場町駅から東京消防庁に119番が入った。他の駅からも「乗客が卒倒した」などと通報が相次いだ。

 霞ケ関駅に近い警視庁の科学捜査研究所では、捜査員が命がけで採取した試料がガスクロマトグラフィー質量分析装置にかけられた。午前9時53分、表示盤に「サリン」のアルファベットが浮かんだ。

 午前11時、寺尾正大(まさひろ)・捜査1課長の記者会見が始まった。寺尾課長は「遺留品を分析中であるが、毒物はサリンの可能性が強い」と語り、「早く報道してほしい」と会見を打ち切った。テレビなどが速報し、テロの正体が明らかになった。

警視庁が捜査へ

松本智津夫元死刑囚の逮捕を報じる1995年5月16日の毎日新聞夕刊1面
松本智津夫元死刑囚の逮捕を報じる1995年5月16日の毎日新聞夕刊1面

 地下鉄サリン事件から2日後の3月22日、警視庁は機動隊員ら約2500人を動員し、山梨県上九一色村(当時)など1都2県の教団施設に対する一斉捜索に踏み切った。容疑は信者の兄の目黒公証役場事務長、仮谷清志さんを拉致(95年2月)したとする逮捕監禁罪だったが、地下鉄サリン事件と教団との関連についても重大な関心を寄せていた。

 その後、警視庁は教団幹部らを次々と逮捕し、5月16日には松本元死刑囚を地下鉄サリン事件の殺人容疑で逮捕するなど教団の実態解明を進めた。

 しかし、一連の事件は警察に多くの反省や教訓を残した。その一つが、高度な科学技術についての知識不足だった。地下鉄サリン事件と前年の松本サリン事件では、化学兵器のサリンがテロの手段として使われたが、当時の警察には化学兵器の毒性や製造方法、原材料などに関する知識が不足しており、このことが捜査を極めて難しくした。

 また、教団は全国各地で事件を起こしたが、当時の警察法では都道府県警が管轄区域を超えて捜査をすることへのハードルが高かった。このため、仮谷さん拉致事件や地下鉄サリン事件が起きる以前には、十分な捜査態勢を持つ警視庁が捜査に乗り出すことができなかった。

 こうした反省から、事件後には、警察庁の科学警察研究所や都道府県警で化学兵器に詳しい人材を育成し、鑑定方法の研究、分析機器の整備などを進めた。2000年には警視庁と大阪府警にNBC(核・生物・化学)テロの専門部隊が置かれ、他の警察本部にも広がった。

 地下鉄サリン事件翌年の96年には警察法が改正され、各警察本部が他の都道府県で起きた事件についても管轄を越えて捜査することが容易になった。

データベース記事から

教祖逮捕 隠し部屋発見(2015年3月20日付)
20年前再現 西村泰彦・内閣危機管理監に聞く(2015年3月20日付)
化学テロ対策、手探り(2020年3月31日付)
アレフなど3団体観察処分 3年間更新(2021年1月7日付) 

真相語らぬ教祖

 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教が関与した一連の事件で起訴された教団関係者は計192人に上る。このうち、松本元死刑囚は13事件で計27人を殺害、または死亡させた罪に問われた。

 96年4月に東京地裁で始まった公判では、「弟子が事件を起こした」とほぼ全ての事件で無罪を主張。しかし、04年2月の東京地裁判決は、全事件を松本元死刑囚が首謀したと認定した。事件の動機を「武装化で教団の勢力拡大を図ろうとした」と指摘し、「多数の生命を奪った犯罪は愚かであさましく、極限の非難に値する」として死刑を言い渡した。

 松本元死刑囚側は控訴したが、控訴審の弁護団は「(元死刑囚と)意思疎通ができない」として提出期限までに東京高裁に控訴趣意書を出さず、高裁は06年3月に控訴棄却を決定。最高裁も同9月に高裁決定を支持し、1審の死刑判決が確定した。

 しかし、約7年10カ月にわたる1審の審理で、松本死刑囚は最後まで事件の真相を語ることはなかった。理系エリートが教祖の指示に従ったことについて、事件当初は「マインドコントロール」の影響も指摘されたが判決では言及がなかった。

 一方で、起訴された信者の多くは少しずつマインドコントロールの呪縛から解き放たれていった。地下鉄サリン事件の実行役の広瀬元死刑囚は、毎日新聞記者に寄せた手記で記している。「独善的な教義にとらわれ、被害者の生命、人生、生活の大切さに気づかずに奪ってしまったことは人間として恥ずかしい限り」

 一連の事件で起訴された教団関係者の処分の内訳は、死刑13人▽無期懲役6人▽有期懲役81人▽執行猶予付き87人▽罰金3人▽無罪2人。死刑が確定した13人は、18年7月に全員の刑が執行された。

死刑が執行された13人の死刑囚 (呼称略。名前の下は教団での肩書。年齢は執行時)

松本智津夫(63)

神聖法皇

主な関与事件:坂本弁護士一家殺害、松本サリン、地下鉄サリン、仮谷さん監禁致死

経歴:熊本県の盲学校卒業後、84年に「オウム神仙の会」を設立。当初はヨガサークルだったが次第に超能力や超常現象に傾倒し、87年に「オウム真理教」に変更後は、出家信者を集めて拡大した。7年10カ月に及ぶ1審公判では当初、無罪を主張したが、その後は不規則発言や沈黙が増えた。04年2月の1審判決後は控訴審が開かれず死刑が確定し、公に姿を見せていない。08年5月以降は弁護人の面会希望にも応じなかった。


林(小池に改姓)泰男(60)

科学技術省次官

主な関与事件:地下鉄サリン、松本サリン

経歴:工学院大を卒業後にインドなどを約3年間旅行。帰国後に教祖の松本元死刑囚の著書を読み、88年に出家した。地下鉄サリン事件では3袋分のサリンを散布し、8人の犠牲者を出した。事件後は逃走し、96年12月に沖縄・石垣島で逮捕された。当時は「殺人マシン」などと報道で批判されたが、他人が嫌がることを引き受ける性格で、教団内では慕われていたとされる。法廷では「死刑判決を受けると思っています」と率直に語った。

豊田亨(50)

科学技術省次官

主な関与事件:地下鉄サリン

経歴:東京大理学部物理学科で素粒子論を研究。大学院に進学後、92年に出家した。教団の出版物では「物理学のエキスパート」と紹介され、兵器開発を担当。1審の最終意見陳述では「私のような者が生きていること自体が申し訳なく、浅ましい」と謝罪した。自身の公判に証人として出廷した松本元死刑囚は地下鉄サリン事件への関与を全面否認した。教祖に向かって「現実から逃避しているとしか思えない」と厳しく批判した。

広瀬健一(54)

科学技術省次官

主な関与事件:地下鉄サリン

経歴:早稲田大理工学部応用物理学科を首席で卒業。高温超電導を研究し大学院に進んだが、89年に民間企業の内定を蹴って出家した。指導した教授から「研究を続ければ、世界の物理学が進歩した」と言われるほどだった。教団では兵器開発を担当。2008年に学生向けにまとめた手記の中で「宗教的経験はあくまでも内界にとどめ、外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです」と事件を総括した。

横山真人(54)

科学技術省次官

主な関与事件:地下鉄サリン

経歴:東海大工学部応用物理学科を卒業後に通信機器メーカーに就職したが、89年に出家した。教団では自動小銃密造を指示され、1年間自室に閉じこもって研究に没頭した。地下鉄サリン事件では散布役だが、散布車両で死者は出なかった。寡黙な性格で、公判では殺意を否認する一方、事件の背景などはほとんど語らなかった。1審判決後に弁護団に「死刑のほうが被害者に納得してもらえる」と話したという。控訴審は黙秘を貫いた。

井上嘉浩(48)

諜報省長官

主な関与事件:仮谷さん監禁致死、地下鉄サリン

経歴:高校在学時に入信し卒業後に出家。松本元死刑囚から「修行の天才」と呼ばれて重用され、教団幹部では最若手ながら「諜報(ちょうほう)省」トップとして非公然活動の大半に関与した。だが、逮捕後は松本元死刑囚との対決姿勢を鮮明化し、他の元信者の公判でも積極的に教団の実態を証言した。1審判決は「現場の連絡役にとどまる」として無期懲役だったが、2審の逆転死刑判決は「総合調整と言うべき重要な役割を果たした」と認定した。

新実智光(54)

自治省大臣

主な関与事件:坂本一家殺害、松本サリン、地下鉄サリン

経歴:愛知学院大卒業後、地元の食品会社に半年勤務し、出家。教団で警備を担当する「自治省」大臣として、元信者を連れ戻す行動部隊の責任者となった。起訴された11事件の死者は26人に上る。松本元死刑囚の「直弟子」を自任し、裁判を通じて帰依の姿勢は変わらなかった。事件については法廷で「宗教的確信に基づいた殺人」と自説を展開。06年の控訴審判決の際は、作務衣(さむえ)姿で座禅を組み、言い渡しを聞いた。

土谷正実(53)

第二厚生省大臣

主な関与事件:松本サリン、地下鉄サリン

経歴:筑波大大学院で化学を専攻。在学中に入信し、91年に出家した。93年から化学兵器の研究を始め、「化学班」責任者としてサリン生成に成功。専用棟でサリン製造の中心的役割を担った。1審公判や証人出廷した松本元死刑囚の公判では、教祖への帰依を明言していた。だが上告中の11年に毎日新聞に寄せた手記では被害者に謝罪するとともに、松本元死刑囚に「詐病をやめて事件について述べてほしい」と望んでいた。

中川智正(55)

法皇内庁長官

主な関与事件:坂本一家殺害、松本サリン、地下鉄サリン

経歴:京都府立医科大を卒業後、89年に出家。「法皇内庁」トップで松本元死刑囚の主治医を務めた。坂本弁護士一家事件では生後1歳2カ月の長男殺害に関与。計11事件に関わり25人の死者を出した。逮捕後は謝罪の言葉を繰り返し、松本元死刑囚の公判に証人出廷した際は「サリンをばらまいたり、人の首を絞めて殺すために出家したんじゃない」と叫んだ。死刑確定後、化学雑誌に寄稿するなど事件を積極的に証言していた。

遠藤誠一(58)

第一厚生大臣

主な関与事件:松本サリン、地下鉄サリン

経歴:帯広畜産大から京都大大学院に進学し、遺伝子工学やウイルス学を専攻中に出家した。教団の「厚生省」大臣としてボツリヌス毒素など生物化学兵器の研究に従事。地下鉄サリン事件ではサリンの生成を担った。1審では当初、起訴内容を認めていたが、途中から弁護人を解任し無罪主張に転じた。控訴審では「尊師に帰依している」「死刑は弟子12人だけでいい」などと松本元死刑囚を擁護。遺体は後継団体に引き渡された。

岡崎(宮前に改姓)一明(57)

省庁制導入前に脱会

主な関与事件:坂本一家殺害

経歴:山口県出身。生後すぐに実父母と生き別れ、養親に育てられた。高校卒業後に土木建築会社などの職を転々とし、1986年に家財を寄付して「オウム神仙の会」に出家した。1審判決では、松本元死刑囚に父親像を求めたと指摘された。坂本弁護士一家事件に関与した後に脱会。山口県に帰り学習塾を経営した。その後は事件への教団の関与を神奈川県警に示唆するなどし、95年に全面的に自供。教団幹部では最初に死刑が確定した。

端本悟(51)

自治省所属

主な関与事件:坂本一家殺害、松本サリン

経歴:早稲田大法学部3年の時に出家。学生時代に空手サークルに所属し、教団内の武道大会で優勝した腕を買われて「警備班」に配属され、坂本弁護士一家事件の実行役や松本サリン事件の警備役など「攻撃要員」とされた。襲撃当時は坂本弁護士の詳しい人物像を知らなかったとされる。その後、自分の両親が加わる家族団体に助言した弁護士だったことを知り「苦しくてたまらなくなり、動揺は静まらなかった」と逮捕後に振り返った。

早川紀代秀(68)

建設省大臣

主な関与事件:坂本一家殺害

経歴:教団の主要幹部では唯一、松本元死刑囚より年上で、約10年間の社会人経験があり渉外担当として重用された。「建設省」大臣として、取得した土地に関する行政交渉やロシア進出の際に中心的役割を果たした。坂本弁護士一家事件では実行役として関与。逮捕後の手記では、この体験も踏まえて「もし下向(脱会)すれば、家族を巻き込んでポア(殺害)することもちゅうちょしないと思っていた」と、教祖への恐怖心を明かした。

サリン後遺症、今も

 地下鉄サリン事件や松本サリン事件など、オウム真理教による8事件の被害者と遺族には、破産により賠償能力のない教団に代わって国が給付金を支払う「オウム真理教犯罪被害者救済法」が08年に制定された。

 給付の内訳は、死亡2000万円、要介護の障害3000万円などで、被害者約6000人に30億円超が支給された。だが、サリンの後遺症により目の不調や心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを訴える人は今も多くいるとされ、継続的な支援が課題となっている。

データベース記事から

「その時が来た」 遺族の高橋さん(2018年7月6日付・動画)
死刑執行 遺族ら「長かった」(2018年7月7日付)
死刑執行 「事件終わらせぬ」 今も怒り(2018年7月26日付)
事件から26年 遺族ら駅で献花(2021年3月20日付)

教団が関与した他の重大事件

坂本堤弁護士一家殺害事件

 89年11月4日未明、オウム真理教の被害者を支援する横浜市の坂本堤弁護士(当時33歳)宅で、松本元死刑囚の指示を受けた教団幹部ら6人が坂本弁護士と妻都子(さとこ)さん(同29歳)、長男龍彦ちゃん(同1歳)の首を絞めるなどして殺害した。

 坂本弁護士は出家信者の親などから相談を受けて「被害者の会」を支援し、教団追及の先頭に立っていた。自宅には教団信者がつけるバッジが落ちていたが、警察の捜査は難航。新潟、富山、長野の3県で遺体が見つかったのは地下鉄サリン事件後の95年9月だった。

 教団が外部の人間を殺害した最初の事件。元死刑囚で関与が認定されたのは松本元死刑囚のほか、岡崎一明、端本悟、早川紀代秀、新実智光、中川智正の5人。

オウム真理教幹部らに殺害された(左から)坂本堤弁護士、長男龍彦ちゃん、妻都子さん
オウム真理教幹部らに殺害された(左から)坂本堤弁護士、長男龍彦ちゃん、妻都子さん

松本サリン事件

  94年6月27日午後10時40分ごろ、長野県松本市の住宅街でサリンがまかれ、8人が死亡、約590人が重軽症を負った。道場建設をめぐり教団と住民の訴訟が続いており、教団は担当する長野地裁松本支部の裁判官官舎を判決直前に狙って事件を起こした。開発したサリンの威力を試す狙いもあったとされる。

 県警は第1通報者の河野義行さん宅を殺人容疑で家宅捜索し、報道各社は河野さんを容疑者扱いする誤った報道を重ねた。河野さんの妻澄子さんも08年8月、サリン中毒による低酸素脳症に伴う呼吸不全で亡くなった。

サリン中毒でマンションから搬送される患者=松本市北深志の住宅街で94年6月27日
サリン中毒でマンションから搬送される患者=松本市北深志の住宅街で94年6月27日

オウム真理教を巡る経過

1955年3月松本智津夫元死刑囚が熊本県八代市で生まれる
84年2月松本元死刑囚がオウム神仙の会を設立
87年6月「オウム真理教」に改称
88年8月静岡県富士宮市に富士山総本部を開設
89年8月東京都から宗教法人の認証を受ける
11月坂本堤弁護士一家殺害事件
90年2月

25人が立候補した衆院選で全員落選

衆院選の開票速報を見る松本元死刑囚

93年11月サリンの試作に成功
94年6月松本サリン事件
95年2月

目黒公証役場事務長・仮谷清志さん監禁致死事件

仮谷さん拉致事件。拉致現場で情報提供のビラを配る大崎署員

3月地下鉄サリン事件
4月村井秀夫元幹部が刺殺される
5月警視庁が松本元死刑囚を逮捕
10月東京地裁が宗教法人の解散命令
96年4月

松本元死刑囚の初公判

初公判に出廷するため、東京拘置所を出て、東京地裁に向かう松本被告を乗せた護送車

2000年1月教団名を「アレフ」に改称
04年2月

東京地裁が松本元死刑囚に死刑判決

傍聴券の抽選で、ボードにはりだされた番号を確認する大勢の人たち

06年3月東京高裁が弁護側の控訴棄却を決定
9月最高裁が特別抗告を棄却。松本元死刑囚の死刑確定
07年5月上祐史浩元幹部が新団体「ひかりの輪」を設立し、教団が分裂
18年7月松本元死刑囚ら13人の死刑執行

教団の関与が疑われた未解決事件

 オウム真理教を巡っては、関与が疑われつつ謎が残った事件もある。

警察庁長官狙撃事件

国松孝次警察庁長官(当時)が狙撃された現場のマンション前で検証する警視庁の捜査員ら
国松孝次警察庁長官(当時)が狙撃された現場のマンション前で検証する警視庁の捜査員ら

 95年3月30日午前8時半ごろ、国松孝次・警察庁長官(当時)が東京都荒川区の自宅マンション前で拳銃で撃たれて重傷を負った。

インタビューで当時を振り返る国松孝次・元警察庁長官=東京都千代田区で2010年3月29日午前11時半、手塚耕一郎撮影
インタビューで当時を振り返る国松孝次・元警察庁長官=東京都千代田区で2010年3月29日午前11時半、手塚耕一郎撮影

 捜査は難航したものの、警視庁は事件発生から9年後の04年7月、教団の信者だった警視庁元巡査長の男性らを殺人未遂容疑で逮捕。しかし、事件への関与を認めた元巡査長の供述が大きく変遷し、信用性に疑問があるとして不起訴となった。

 結局、10年3月に公訴時効が成立したが、警視庁は狙撃実行者を特定しないまま「オウム真理教による組織的犯行」との捜査結果を公表。反発した後継団体が都を訴えた訴訟では、都の名誉毀損(きそん)を認め、100万円の賠償を命じた判決が確定した。

国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃されたマンション玄関付近を調べる警視庁の捜査員ら=東京都荒川区南千住のマンション「アクロシティ」で95年3月30日
国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃されたマンション玄関付近を調べる警視庁の捜査員ら=東京都荒川区南千住のマンション「アクロシティ」で95年3月30日

村井秀夫元幹部刺殺事件

 教団ナンバー2の村井秀夫元幹部(当時36歳)は95年4月23日午後8時35分ごろ、東京・南青山の教団東京総本部の前で男に刺され、翌日死亡した。教団への取材のため、大勢の報道陣が集まる衆人環視のなかで事件は起きた。

 村井元幹部への襲撃はさまざまな背景が取りざたされたが、指示役として起訴された元暴力団幹部は無罪が確定。実行役の男は懲役12年で服役後、雑誌などで「単独犯だった」との説明をしている。

記者会見をするオウム真理教の「科学技術省」長官で化学薬品製造の最高責任者である村井秀夫氏=東京都千代田区有楽町の日本外国特派員協会で1995年4月7日、出版写真部員撮影
記者会見をするオウム真理教の「科学技術省」長官で化学薬品製造の最高責任者である村井秀夫氏=東京都千代田区有楽町の日本外国特派員協会で1995年4月7日、出版写真部員撮影

発生時の警察無線、初公開

 警視庁は、事件から20年後の2015年1月、発生直後の警察無線の交信記録を初めて公開した。この前年、110番通報を受け付ける同庁通信指令本部の保管庫から、交信記録が入った音声テープが偶然見つかっていた。

 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ちが悪くなった者2名がいる。事件事故等かもしれませんが、詳細判然としません」

 音声は午前8時21分、110番の内容を伝える通信指令本部の係員の声で始まる。「本願寺前入り口、歩道上、現在救護中」「現在、救急隊到着」。他の現場からも報告が相次ぐ。警察官の声に、荒い息づかいが交じる。

 その後、毒ガス使用をうかがわせる情報が現場から入った。「茅場町駅で、車内に置いてあった新聞紙に包まれた濁った液体から相当の悪臭がしたという言動あり」

 「爆発物を使用したゲリラ事件が発生」との交信もあり、情報は錯綜(さくそう)していたが、テープには被害が徐々に明らかになっていく様子が克明に残されている。

オウム真理教の今

 オウム真理教は裁判所の解散命令によって宗教法人格を失ったが、信者らはその後も活動を続け、2000年に「アレフ」と改称した。07年に元幹部の上祐史浩氏が「ひかりの輪」を設立して分派し、15年にはアレフの内部対立から新たに「山田らの集団」が分かれた。公安当局によると、20年末現在で15都道府県に31カ所の拠点があり、約1650人の信者が活動しているとみられる。

 主流派のアレフは依然として松本元死刑囚を「尊師」と呼び、松本元死刑囚への絶対的帰依を強調。団体名を隠し、街頭や書店の自己啓発本コーナーで声をかけたり、ヨガ教室で参加者を募ったりして若者らを勧誘している。新型コロナウイルスの流行後はSNS(ネット交流サービス)などインターネット上での勧誘に比重を移しているとされ、人間関係を深めて断りにくい状況にしてから入会させるケースもあるという。

 ひかりの輪は、各地の神社仏閣や自然を訪ねる「聖地修行」への参加を呼びかけるなどして信者を獲得している。

 18年に松本元死刑囚の死刑が執行された後、遺骨は遺族による家事審判により次女が引き取ることとなった。公安関係者は「遺骨や遺髪が安置される場所が聖地化される可能性もある」として動向を注視している。

 公安調査庁は、3団体がいずれも松本元死刑囚への帰依を続けながら新規信者を勧誘しているとみて、団体規制法に基づく観察対象とし、立ち入り調査などを通じた実態把握に努めている。

 また警察は、地下鉄サリン事件から約四半世紀が経過し、一連の凶悪事件に対する国民の記憶が風化してしまうことを懸念。教団の違法行為の摘発事例について、自治体への情報発信や、教団施設周辺でのパトロールなどの警戒活動に力を入れている。

オウム真理教の後継団体「アレフ」の施設へ立ち入り検査に入る公安調査庁の職員ら=東京都足立区で2018年7月6日午後2時52分、東京本社写真映像報道センター員撮影
オウム真理教の後継団体「アレフ」の施設へ立ち入り検査に入る公安調査庁の職員ら=東京都足立区で2018年7月6日午後2時52分、東京本社写真映像報道センター員撮影

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