千々石ミゲルの墓「確定」、諫早に 天正遣欧少年使節 民間調査

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千々石ミゲル墓所調査プロジェクトが「ミゲルの墓と特定した」とする2号墓の内部=長崎県諫早市で2021年9月12日午前10時53分、杉山恵一撮影
千々石ミゲル墓所調査プロジェクトが「ミゲルの墓と特定した」とする2号墓の内部=長崎県諫早市で2021年9月12日午前10時53分、杉山恵一撮影

 16世紀の天正遣欧少年使節団の一人、千々石(ちぢわ)ミゲル(1569年ごろ~1633年)の埋葬地について調べている民間チーム「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト」(浅田昌彦代表)は23日、長崎県諫早市で発掘調査してきた埋葬施設跡が千々石ミゲル夫妻の墓と確定したと発表した。天正遣欧少年使節団の4人はいずれも埋葬地が分かっておらず、墓が特定されたのは初めて。

 千々石ミゲルは九州のキリシタン大名・大村純忠のおいで、16世紀後半、純忠らがキリスト教布教の支援を得ようと伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノと共にローマに派遣した天正遣欧少年使節団の一人。帰国後、禁教令下でイエズス会に入会したが、使節団の4人の中でミゲルだけが脱会し、棄教したと伝えられている。帰国後の後半生には謎が多い。

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