振り回された日々は「いい思い出」 没後30年・盟友が語る尾崎豊
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1980~90年代に若者から熱狂的な支持を受けた歌手、尾崎豊が亡くなって25日で30年。今も多くのアーティストが曲をカバーするなど、時代を超えて愛されている。社会や大人への反抗、自由への渇望、純粋な愛などをストレートに歌い、カリスマ的なイメージも強いが、素顔はどんな人物だったのか。そして、尾崎が音楽を通して追い求めたものは何だったのか。ピアニストとしてツアーに同行し、公私ともに親しかった音楽プロデューサーに聞いた。【伊藤遥】
いい意味で、狂っている
「尾崎はお金のために音楽をやっていなくて、エンターテインメントでもなかった。ライブでもワンステージ、ワンステージ手を抜かず、毎回死ぬ気でやっていました。いい意味で、狂っていますよね」
そう語るのは、4枚目のアルバム「街路樹」(88年)をプロデュースした音楽プロデューサーの樫原伸彦さん(58)。「プロデューサー」といっても、尾崎と年齢は2歳しか違わず、出会ったのは尾崎が19歳、樫原さんが21歳の頃。ピアニストとして3枚目のアルバム「壊れた扉から」(85年)の収録に参加し、同年からツアーに同行した。やがてプライベートでも一緒に遊びに出かける仲になり、「街路樹」の制作時にプロデュースを任されるようになった。
「死ぬ気でやった」ライブとは、どんなものだったのか。樫原さんが忘れられないのは、尾崎が10代最後に行った85年のライブツアー初日。ステージで…
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