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ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、75回目の憲法記念日を迎えた。
独立国の主権と領土を踏みにじる侵略戦争は、日本の憲法が掲げる平和主義への攻撃である。
米欧も国連も蛮行を止められず、国際協調を基盤とする「ポスト冷戦期」に終止符が打たれた。
欧州の安全保障環境は激変した。軍事的中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)加盟に動き、ドイツは従来方針を転換してウクライナに戦車を提供する。
核兵器使用の脅しをかけるプーチン露大統領に国際社会が圧力を強め、抵抗を続けるウクライナの人々を助けるのは当然だ。
軍事力で大国が他国を圧する「弱肉強食の世界」の出現を許してはならない。
現実を理想に近づける
日本国憲法は「戦争の惨禍」を繰り返さないとの決意から生まれた。「国際平和」「武力行使禁止」は国連憲章と共通する。
懸念されるのは、侵攻を憲法改正に結びつけようとする動きだ。安倍晋三元首相は「今こそ9条の議論を」と強調し、自民党は、国民の権利制限につながる「緊急事態条項」の新設を目指す。
国民的な議論を欠いたまま、軍拡へと走るかのような風潮も気がかりだ。自民党が保有を提言する「反撃能力」は、「専守防衛」の基本方針との整合性が問われる。
侵攻で「力による現状変更」のリスクが突き付けられたのは事実だ。中国の海洋進出など東アジア情勢を踏まえ、憲法の枠内で防衛力を見直すことは必要だろう。
だが、権威主義国家の軍事力増強に軍拡で対抗するのでは、「力の論理」にのみ込まれるだけだ。米軍によるイラクやアフガニスタンの戦争の帰結が示すように、軍事力だけで問題は解決しない。
国際政治学者のE・H・カーは第一次大戦後、理想主義的な国際連盟が機能不全に陥り、2度目の大戦を回避できなかった戦間期の「危機の20年」をこう分析した。
「現実をあまり考慮しなかったユートピアから、ユートピアのあらゆる要素を厳しく排除したリアリティーへと急降下するところにその特徴があった」
いま日本に求められているのは、侵攻が浮き彫りにした現実を直視しつつ、それを「国際平和」という理想に少しでも近づけるための不断の営みだろう。
まず、安全保障の総合力を高めることだ。ウクライナでも国際支援や指導者の発信力が戦局を左右している。防衛力だけでなく、外交、経済、文化、人的交流などソフトパワーの強化が欠かせない。
次に、アジア安保対話の枠組みを作る努力だ。米中とインド、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)各国などが意思疎通する場は地域の安定に寄与する。日本が主導的な役割を果たせるはずだ。
平和とルールを重視する国際世論を醸成する取り組みも必要だ。ロシアを含む各国の市民が反戦の声を上げている。憲法が前文に記す「平和を愛する諸国民の公正と信義」を再確認する時である。
「これまで『日本だけが平和であればいい』という感覚が強かった。困っている他国の人を助けるという道徳的な義務と両立する平和主義でなければならない」
そう語る国際政治学者の中西寛・京都大教授が注目するのが、ウクライナ避難民の受け入れだ。
「人道」の視点を大切に
政府が異例の受け入れ態勢を取り、これまでに800人以上が来日した。毎日新聞などの世論調査では「もっと多く受け入れるべきだ」との回答が69%に上る。
戦火を逃れた人々に手を差し伸べることは、人道上の責務である。日本はウクライナの人々に限らず、国籍を問わずに積極的に受け入れるべきだ。
憲法は「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」をうたう。戦後の制定過程で9条に「平和」の文言を加え、「生存権」(25条)を盛り込むよう訴えたのは衆院議員の鈴木義男で、米国側の「押しつけ」ではなかった。
いずれも「人間の安全保障」に通じる理念だ。憲政史が専門の古関彰一・独協大名誉教授は「平和は単に『戦争のない状態』ではなく、『人間らしく生存できる』という問題だ」と指摘する。
憲法の平和主義をどう実践し、世界に発信するか。施行75年の節目を、理想追求の原点に立ち返って議論を深める機会にしたい。